寒い・・・・
一日中、外だから冷え切る。
膝から下が、じんじんしてくる。
こんな時に、南の島の事を思い浮かべるなんて。
もう完全に現実逃避だな、こりゃ。
農学生だったから、あちこち実習へ行った。
そのうちの一つが、奄美群島・喜界島。
東京・青海埠頭から船で二昼夜ほど行った南にある、周囲40キロほどの小さな島。
そこでサトウキビ畑の手伝いをした。
今でこそ、お台場と名がついて、いろいろと建っているけれど、今から30年前、当時の青海埠頭は、何にもなかった。
東京駅八重洲口からタクシーに乗る以外は、そのフェリーの乗り場にたどり着く方法はなかった。
一番安い二等客室で乗り込むと、毛布が一枚あてがわれ、だだっ広いところで雑魚寝だった。
何回かその島には行ったけれど、サトウキビのメイン(の季節)は収穫の春。
夏には若い男女でいっぱいになるこの沖縄航路も、その季節は慣れた帰省の客ばかりだった。
学生の旅だから、上等な食事など縁がなく、これまた一番安いうどんやカレーライスばかり食べて過ごす退屈な時間。
ただ、そんな時間の過ごし方も、今思うと、その時にしか経験できない貴重な時間だった。
デッキに出ると、ぐるりと海ばかりで、船首をのぞくと、飛び魚が波とたわむれていた。
2回寝ると乗り換え地、奄美大島・名瀬の港に着く。
日にちが合えば、半日ほどで喜界島行きのフェリーの乗り換えられるのだけれど、毎日運航されているわけではないので、島の反対側にある空港に向かうことにした。
これが結構な距離。
振興策ということなのだろう。見事に反対側。
路線バスで相当な時間がかかる。
まあ、それしかないのだからそのバスに乗って空港に向かう。
中心部を抜けると、もう南の島の風景が広がる。
サトウキビ畑と石垣を積み上げた集落と小さな港、白い砂浜。
結局、天気が悪くて、飛行機は欠航だった。
しかたないので、最寄の安い民宿に泊まった。
食事のあとにおばちゃんに焼酎を一杯たのんだ。
奄美の黒糖焼酎を、出されたままストレートで飲みながら窓を開けると、カエルの鳴き声がした。
「2月にカエルが鳴くんだ、ここは。」
次の年、もう少し遅い時期に同じ道をまた実習のためにたどる。
ずっとバスの窓の外をながめていると、ところどころで当時売れていた、ヤマハやホンダのスクーターがたむろしていた。
持ち主の高校生たちの姿は見えないのだけれど、どのスクーターの前カゴにも、茶色い紙の筒がささっていた。
「そうか。今日は島の高校の卒業式なんだ。」
卒業式の後、誰かの家に集まっておしゃべりをしているのだろう。
大事な卒業証書は置きっぱなし。はは、ま、誰も取りゃしないか。
楽しげな声が、聞こえてきそうだった。
卒業した彼・彼女たちの、その先はいろいろなんだろう。
だけど、石垣の集落とサトウキビ畑が原風景であることは間違いない。
その原風景を足場にして、人生のイメージをふくらませていく。
こんな仕事をしているのだから、そんな役割を担っていけたらいいなぁとは思うのだけれど。
「原風景」を提供する農場になれるのかどうか?
もうちょっとがんばらないと、なれないナ。がんばろうっと。