お客様からタマゴの放射能汚染についてお問い合わせがあった。
平飼いの方が影響が大きいのではないか?
山梨はどうなんだ?
検査はしてるか?
ニワトリの被爆については、ヒトと同じだ。
呼吸することで吸い込むか、食物として食べるか。
注意すべき事も同じで、どのくらい大気中に放射能があるのか?餌にどのくらい含まれているか?
ここらへんの空気中の線量は東京のそれより少ないだろうし、餌については、そのほとんどが輸入品であり、一応は密閉されたタンクや袋で流通している。
草や牧草も鳥インフルエンザの毎年の流行でニワトリに食べさせる事はなくなっている。
近隣の農産物の検査結果と同様に検出されるレベルではないであろうから検査はしていないが、必要があれば検査をする。
状況をざっくり説明するとそんなところ。
皮肉な事に、今回の事故では、
「外界から遮断された場所に密閉され、輸入原料100%の餌を食べたニワトリの卵」
つまりウィンドレスのケージ飼いの自給飼料を一切使っていないもの、の方が被爆量が少ないという現象であるという言い方が出来る。
国産飼料にこだわったり、より自然に近い方法を試みた養鶏の方が被爆量が多い可能性がある。
まったく皮肉だ。
うちでは飼料原料のうち、米ぬか・魚粉・カキガラについて、注意をしなければならない。
これからずっと。
「うちのタマゴは東京ローカルの商品なんだよな。」
元日経マネーの記者のご近所と話したことがある。
TOKYO(東京や東京のような、消費に特化した大きな都市)で評価されるような、情報とストーリーを帯びた農産物であると。
俺もそれを意識してずっとやってきた。
そうなるために農場開放日「ひよこにさわろう」をやってきたし、ブログでこのおっさんのドタバタを書く。
「伝える」事のために、生産以外のものすごい時間を割いてきた。他の農場にない特長だと思っている。
時々書く事だけれど、TOKYOは巨大だ。
食糧の生産地とあまりにも離れていて、農産物の生産についての現実感なんてない。
「牛乳ってのは妊娠して出産した牛の乳搾ってやっと出てくるもんだゼ。そこらの牛ぎゅーぎゅーやったって何もでてこやしないゼ!」
日本に戻ってきてTOKYOで会った群馬の酪農家ナカザワが怒ってた。
ペットボトル入りのミネラルウォーター、つまり「水」が広く売られるようになり始めた頃だったと思う。
大きすぎて行けども行けども農業の現場はなかなかない。海外から帰ってきて、そのことを感じた人は多いと思う。
現実感なんてなくなるのも無理がない。それほどデカい。
だから時間を割く。そのことを伝えるために。
俺はTOKYO(のような。。)が好きだ。毒にまみれて人を愛し、未来を信じる都市が好きだ。
そこで必要とされる農産物を作り送ろうと思う。
だからTOKYOからのぎりぎりの僻地、山梨のこのあたりに貼りついて農業をやる。
TOKYOで売れなくなったら、やめてしまうのだろうし、TOKYOがなくなったら旅に出るのだろう。
TOKYO心中。
23才のとき、標高2400メートルのメキシコのすんごい山の中にある農場にいた。
農場って言ったて、ただだだっ広い電気も水道もないところに管理小屋というレンガの建物があってそこで毛布にくるまっていた。
夜になると、佃煮にしたろか?と思うほどうじゃうじゃホタルがいて、晴れている夜はもちろん満天の星だった。
気持ちだけあって、何も出来ない自分に苛立っていた。
日本語しか話せず、日本語で考え、日本語でイライラしていた。
当時中南米の優等生と呼ばれていたメキシコでも、経済状況は日本からでは想像出来ないほどの状況だった。
この状況から、人々が豊かになるのには(豊かさとは何か?というテーマもあるんだけど)隣国アメリカや日本と同じ過程を踏んでいたんでは到底たどり着けそうになかった。
(アメリカを雛形にした)大量に消費することで物や経済を豊かにする方法じゃないやり方があるような気がしたし、それを具現化できるのは世界で唯一TOKYOという都市であるように思えた。
そのまま村の娘と結婚し、村に入っていくという選択肢もあったけれど。
鞄に身の回りのものを詰め込んだ。
虎の子の米ドル紙幣をにぎりしめ、TOKYOに帰るために国境に向かった。
「シエンタテアキー」に続く。
http://air.ap.teacup.com/satofarm/83.html