うちのタマゴは美味いのだ!と騒いでおったら、週末、取材があった。
久しぶりの取材で、あれこれ話すと、頭の中でちらかっていたり、自分的には当たり前になっていることを、もう一度整理することになる。
おいしい食材を探す、ような番組だから、たまごの味の話になって、エサの話になる。
「たまごの味はエサで決まりますかねぇ?」
「うん・・エサ・・まぁそうですね。」
なんて話になって・・・。
うちは自分のところでエサを混ぜている。
今はもう、普通の養鶏場はエサメーカーが港のコンビナートにある工場で混ぜたものを使う。
一昔前、はじめに平飼い養鶏が広まった頃は、みんな「平飼いで自家配合飼料だから無添加です。安全です。」なんてうたってたけど、近頃はそうでもないな。
平飼いたまごでも、(平飼いの)大手の養鶏場はメーカーの配合飼料をそのまま使っているところも多い。
いつのまにか変節したところもある。
確かに20年ほど前まで赤色2号という石油由来の食紅が黄身の色づけに使われていて、それが発がん性の疑いがある、ということが発表されたら一斉に使われなくなった。
(そのときパプリカ色素に入れ替わった。)
当時は、「だから無添加!」と言っていたところも、規模拡大とともにコストを選んだ、ように見える。
だとすれば、問題は、飼料添加物そのものの是非の議論ではないと思う。
飼料添加物をなぜ使うかという話じゃないのかな?
大きくなれば人を使うから、栄養の不安定さ・微量要素の不足から来る産卵率の低下というリスクを避けたい、ということだったんじゃないの?
なんだそういうこと・・と変節した人のことについてはそう思う。
(それは、ま、俺がとやかく言うことでもないし。)
そんなに巨大に養鶏をしなければならない理由が、経営する側のメリット以外に見当たらない。
安い卵が緊急に広く必要とされる世の中かどうか?という疑問。
大量の消費があるという前提で、大量に生産する。そのための飼料添加物。
・・・何かに似てるね。
それともう一つ。
たまごの味はエサで決まる。
ということは、工場で作られた同じエサで飼えばどこでも同じになる。
なんだ?・・・つまんねーな、って思うんだ。
どうせお百姓するなら品質なり独自性を追いかけたくなる・・・よな、フツー。
自分ちなりの生産物を生産しようと思えば、原料を選び自分で混ぜることになる。
そういうことだな。
大規模経営が前提でなければ飼料添加物を使わなくても養鶏は成り立つ、はず。
家畜を育て生産することを自分の表現方法だと考えれば、独自性=その農場なりのおいしさを追求する、はず。
農業を生業にする奴の、農場の「設計思想」ともいえる根っこの部分なんだな。
「エサを混ぜるのが仕事なんですねぇ。」
年代もののおんぼろ撹拌機の前でそう言われる。
そうですね。そうそう、そうです。エサタンクから出してそのまま給餌するだけって農場じゃないんです、うち。
お昼時の取材で、試食してみたいということだったので、日野春まで車をとばし「コマチン・カフェ」に行く。
農場から持っていったタマゴを「鳥丼」にわってかける。
http://stapa-okami.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-f9ee.html
うん、思ったとおり、あうよ、ここんちの鳥丼にぴったり。
タマゴの味もひきたつし、鳥丼自体もこの方が旨い。ぜったい。
まぁね、理屈はあるんだけどさ。
こうやってみんなでかき込むタマゴの美味いこと美味いこと!
取材陣、食べてる間、黙っちゃったもん。やっぱ美味いや!うちのタマゴ。それでいいじゃん。
(生卵つきもメニューにあります。カフェ飯ってやつだから、おしゃれ〜に出てきますけど、卵割ってかき込んでください。ぜったいおすすめ!)