印象的な人に会うと、ブログに書きたくなる。
書いていいのかどうか?書ききれるのか?わからないこともあるけれど。
病院というやつのまわりにいる人は、やっぱり「印象的」な人が多い。
すごい巨漢の小児科医。でも1mm以下の細〜い管を駆使して新生児の治療にあたる。先生、手先が超〜器用。
その巨漢のスタッフが華奢な小っちゃ〜い看護士さん。狭い新生児集中治療室の保育器の隙間をすいすい動き回る。
「へ〜、そんなところは入れちゃうんだ。」「入れますよ〜。」
って会話はそのまま絵本にありそうな森の病院、クマのお医者さんとリスの看護婦さんの会話だね。
多重人格の妊婦さんの応対で、産科の病室の廊下を早足でパタパタ行くのは精神科の先生。
精神科の先生ってのは守備範囲が広いんだなぁ。ハァ・・大変そうだ。
2年目の若い産科の女先生。
お年頃だからお化粧はわかるけど、患者さんの前でそのラメ入りはどうかなぁ?
夜勤の時間に話をすると必ずラーメンの匂いがする若い当直の先生。
う〜ん・・ラーメンばっかじゃ栄養かたよってないですか?
お医者さんだけじゃない。
看護士さん、配膳のおばちゃん、ボランティアのおじさん、薬かなんかの営業マン人、患者さん、それぞれなかなか印象的。
それと、患者さんの家族。
十年ほどまえの夏。
入院病棟の入口でよく見かけるその若い女性は、いつも穏やかだった。
顔見知りになると、いつもニコリと笑い、会釈をした。
とても軽やかなさわやかな笑顔だった。
ほどなく、彼女は、新生児集中治療室にいる子供の世話に通っていることを知る。
お嬢さんの病状は重く、深刻だった。
朝に夕に通い、(集中治療室だから)備え付けの白衣に着替え、肘から先を消毒して、世話をしていた。
文字にすれば、たったの3行。
それがどれだけ重たいことか。
でも。彼女はいつもニコリと笑って会釈した。
何度もすれちがい挨拶をしてるうち、ちょこちょこと短い会話をかわすようになる。
彼女との短い会話の断片をつないでいくと、多分彼女は、フツーの裕福な家に生まれ不自由なく育ったフツーのお嬢さんだったことがわかる。
彼女が。
若い看護士の不用意な言葉に傷ついたこと。
使われていない階段で同じ病室のママの前で我慢できずに泣いたこと。
入院した子供を毎日見舞う、という厳しい「負荷」が、彼女を穏やかな笑顔の人に変えていった。
・・・のだ、と思う。
他人の痛みなどわかりはしない。
けれど、だから。
他人の痛みなどわかりはしない、ことを知っておこうと思う。
暗い廊下の天井に配管がむきだしになっているような古い病院だった。
駐車場から入院病棟への入口に犬がつながっていた。大型のラブラドールレトリーバー。
毎日つながっていたから、そいつのことも何となくわかってきた。
な、君は誰か見舞う人が散歩のついで連れてきたんじゃないよな。
君の飼い主は何階の何病棟だい?
よくなるといいね。
十年ほど前の暑い夏、病院というやつに通っていた。
印象的な人と、印象的な出来事の毎日で、よく憶えている。
暑くて長い夏だった。
今またちょっと病院のまわりにいるから、そんなことを思い出した。