今から二十数年前、八ヶ岳の長野県側。富士見町の営林署の管内でカラ松の間伐をした。
国有林のカラ松を一般の希望者を募って間伐する(木の成長を促すため、間引いて伐採すること)という実験的な企画があった。
人工林のカラ松が、間伐の時期になったけれど需要も人手もないので、手がまわらないことを逆手にとった営林署の苦肉の企画だった。
営林署へ行き、林道のゲートのカギを受け取り(そこの国有林は普段は立入禁止になっている。)あらかじめ営林署の職員が印をつけた木を自分で切り、運び出した。
「カラ松も需要がなくて・・」営林署の人がそう言った。
まだ若かった僕ら夫婦は、犬を連れて、弁当を持って、山に入り、二人で木を切り出した。
それで鶏小屋を建てた。
今から十六・七年前、甲府盆地の南の方、中道町で野菜と果物を栽培している十歳年上の大学の先輩、オザワさんとよく話をした。
「大学出て、家に入って農業やるなんて戻ってきた時は、(大学出て農業やるなんて)そんな時代になったもんだ、なんて村中歓迎してくれたもんだけどナァ・・あれから二十年経つけど未だに俺が一番の若手さぁ・・・。」
そう言ってぼやいていた。
それから、また二十年ぐらいたって、今度は僕がぼやく番になった。
この村で、いまだに僕が一番の若手だから。
本当に。ほんっとうにこの国の林業や農業の先行きは危うい。
ときどき新聞やメディアに生きのいい若手農業者が紹介されたり、趣味の農業がちょっとブームだったり、定年帰農なんて言葉があったりするから、何となくいいのかなぁ・・って雰囲気になるけれど、現場サイドにいると本当に「ヤバイんだってー!」と叫びたくなる。
食糧自給率が低いことの弊害は、いっぱいある。
世界的にも、食糧は足りない。耕作可能な土地で食糧を生産しないのは、よくない。よくないにきまっている。
この現場のイライラする感じを、どうすれば共有できるのだろう?
もう二十年も変わらないこの状況を変えるには、このイライラする感情を共有できるかにかかっている、と思う。
まったくどうすりゃいいんだか。