ずらりと並ぶケージにニワトリがきっちり入っている。
自動でエサが流れていく。足元には白いたまご。
お馴染みのケージ養鶏の映像がニュースで一瞬流れる。
もしあのまま東京でサラリーマンになっていたのなら、こんなニューズ映像には無関心だっただろうし、もし目に入っていたとしても、何ら反応しなかっただろうな、俺は。
廃鶏を出した。
いつもそうなんだけれど、廃鶏の処理場は、何万羽も飼っている大きな養鶏場が基本だから、うちらのような零細農家養鶏の数百羽なんて単位は相手にしていない。
だから、間待ち隙間待ちで待たされることが多い。自分が出したいタイミングではなかなか出せない。
それで今回どーしても作業の都合で(よくないことなんだけど)、二晩ほど別々の部屋にいるニワトリを同じ部屋に押し込んだ。
ニワトリは群で暮らす動物だから、同じ群の中では順位がある。
小さい頃から、小競り合いをしたりケンカをしたりして、順位を決める。そうして群としての秩序と安定を作り、群れて行動し外敵から身を守る。
その順位が乱れる事が起こると、順位の再調整=ケンカになる。
だから今回のように無理なことをすると、当然しばらくはケンカが続くと思っていた。
ところが。
何も起こらなかった。
これはおかしい。なぜ?
色々推測して、多分答えはこう。
この二つの群は、同じ時に来たニワトリで、ヒヨコのときは同じ部屋にいた。
それから分けられて別の部屋にいたのだけれど、そのことを憶えていて、お互い認識しあい、ケンカにならなかった。
何をどう憶えているのか?
おおよそ一年半ぶりに再会した同い年の群では、ケンカはおこらなかった。
にわとりの脳は小さい。
でもそれは、人間に比べてとか、体の割にはとかの比較の話だ。
昔の仲間を記憶する力が充分あるほど、脳は発達している。けっこういろいろわかるんだ。
だから、狭いケージに入れられて飼われていることについてのストレスはあるんじゃないかな?。
自分が生きていくために必要なスペースが欲しい!っていう要求も充分あるだろう。
やっぱり、たまごを産む機械ではないのである。
お陰様で、農場へたまごを買いに来て下さるお客様が増えてきている。(不在のことがあったりして、不便にしていてすみません。)
フリーライター、リタイアされた方、大工さん、陶芸家、近所のママさんたち、有機農家、犬の散歩がてらの方、レストランさん、などなどオジサンオバサンママパパ子供達。
バタバタしてるから二言三言しかお話しできないのですが。
あたりまえのように鶏小屋中でニワトリが歩き回ってて、あたりまえのよう砂浴びをしている。
あたりまえのようにたまごを集めるカゴのなかに産みたてのたまごがあって、あたりまえのように今日はたまごを産んだとか産まないとかの話をする、季節や外敵に産卵が翻弄される。
そんな農場に、あたりまえのようにたまごの入れ物を持ってお客様がたまごを買いにいらっしゃる。
ここは何でもないタダの地方の農村なんだけれど。
家畜が生き物として無理なく飼われている風景が目の前にあって、その生産物を現実感と一緒に買い物かごに入れ、持ち帰って食べるという「暮らし」がある。
それはとても豊かなことなのだと思う。
もしあのまま東京でサラリーマンになっていたのなら、それが豊かなことなのだとは、俺は気づけなかったのだろうな。
この日常の風景をいろいろな方法でご提供出来ることをこれからも意識していこうと思う。
地味だけどフツーだけどそんな豊かさ。
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農場の様子をお伝えする冊子「たまごブック2!」が出来ました。
ちょっとずつ手直ししながら配布しています。お手にする機会がありましたらどうぞご覧下さい。
いつのまにやら10月です。こちらはそろそろストーブです。ご自愛下さい。