名古屋。新堀川という運河がある。運河といってももうほとんど使われていない狭い川だ。
そこにかかる「鶉橋(うずらばし)」のほとりの雑居ビルの外二階に「ラス・デリシャス」というメキシコ料理屋がある。
曲がった階段をのぼっていくとテラスになっていて、正面の壁がメキシコの壁画になっている。
本国メキシコも首都メキシコシティーは元の宗主国スペインにならって、街のあちこちに壁画や塔、美術のオブジェがあっていろいろとメッセージを伝えている。
この店の壁画も男女が畑で何か収穫している楽しい絵だ。入口の植木鉢には何種類かのハーブと見たこともない変わったトウガラシが植えてある。
この店を知ったのは多分10年以上前。
当時、地元のお百姓さんたちと農業法人を設立しその代表をやっていたときのこと。
ときどき、うちのにわとりの管理作業を家族にまかせ、いわゆる営業というやつに出かけていった。
その日は取り引きを始めていた有機農産物の宅配業者さんとの打ち合わせ。
打ち合わせを終えた後、仕入れ担当の女性部長のYさんと街に繰り出した。
Yさんは推定で俺よりひとまわりちょっと年上。まじめに不器用に世の中に有機農産物が増えればいいと考えている方。地方から出てきた生産者の話をよく聞いてくれる。
話すこちらも、たまごのこと、野菜のこと、村のこと、村おこしのことと、この際とばかり話し続ける。
何軒目かを出て、俺はおなかもいっぱい、話し続けて咽もかれてきた。
そろそろお見送りをと思っているとYさん「このあたりにメキシコ料理店をみつけたんですのよ。」とおっしゃる。
俺がメキシコに行っていた経歴はすでにご存知だからこれは断る訳にはいきません。
でもなぁ、もう夜の11時、名古屋の夜は早いからなぁ・・かまわずYさん
「ちょっと(やってるか)聞いてきますわ。」とトントンと階段をあがっていく。健啖家だなぁ・・
「大丈夫、ですって!」と呼び込むけど・・もう電気消えてるじゃん、イスもテーブルの上にあがってるし・・ま、いっか・・
「ブエノス ノーチェス(こんばんわ)」と入っていく・・
さて、それから。ちょっとビールから飲みだして、あれやこれや料理の解説や現地の話をしながら、あっというまにテキーラ(マゲイという多肉植物を原料としたメキシコの蒸留酒)を飲んでいた。
あれ?いつのまにかお店のメキシコ人シェフもテーブルについてるぞ。日本人の奥さんもだ。
話題は日本の食材について。
鶏肉料理で使う鶏肉が日本のものはおいしくない。「ヤワラカイ、ケド、アジ、シナイネー。」
それでどこでどう見つけてきたのか、生きたにわとりを見つけてきて、厨房でさばいていたら、知らずに入ってきた奥さん卒倒しそうになったとか。
八百屋さんに2ダース注文したアボガド、未熟すぎて使えたのたったの1個だったとか。「ヤマナシデハ、ツクレナイデスカ?」(無理無理!)
とか、とか、とか。
ちょっと物差しが違うと、この場合メキシコ人シェフ、日本の食材・食糧についての話は、あれ変だな?とか上手く説明できなくなってくる。
最初は笑ってられるけど、話してるうち危うさが浮き彫りになってくるなぁ・・・
何時まで話をしてどうやって帰ったのか、楽しい夜をすごし「営業」を無事終え山梨に帰ったのでした。
結局、その法人も数年間稼動し、この村に数千万円の農産物の売上を落とし解散しました。
それからは自分の農場に専念し現在に至っています。
農業振興が言われ始め久しいですが、食糧自給率が4割を切ったままです。
農場経営者と農場労働者という形態で大型化を図り、増産していくというのが当面の方針のようですが、私は家族経営にこだわっていきます。そのほうが農業の食糧生産のリアリティーを伝えられそうだ。
例えば親戚に一軒農家がある。例えば子供の同級生のおとーさんが養鶏をやっている。
そんな事実のほうが伝えられるリアリティーは大きいと思う。農産物についてくるどんな生産者情報よりも説得力あるんじゃないのかな?こんな農村地帯でも「子育て中の専業農家」はすでにいませんからね。
小さな農家にできること、小さな農家にしか出来ないこと、のひとつだと思っています。
後日、そのお店から電話がかかってきた。
「じゃ、来月農場に遊びに行くからねー!」
こうして Y さんが店をこじ開けてくれたおかげで、俺とメキシコ人 ナウ・ヒホン・クルスはアミーゴ(友だち)になったのでした。
ラス・デリシャス
http://www.las-delicias.net/deri-top.htm