スベリヒユ 日本各地の畑や道ばたに生える一年草。
茎は根もとから枝分かれして地面をはう。茎、葉ともに肉質で無毛。茎の先の葉の中心から黄色の5弁花を開く。花径6〜8o。葉と茎は食用になる。和名はゆでるとぬるぬるするからとか、葉が滑らかなことからといわれる。スベリヒユ科。
「おーい。その草は増えるとめんどうだから、よーく取ってくれよ。」
学生時代、菅平高原の農業実習。住み込みで野菜の収穫の作業を手伝う。冬はゲレンデになっているリフトの脇のレタス畑で草抜きをしていると、農場主のミネオさんから声が飛んでくる。
「昔はこれも食ったもんだがなぁ。」
開拓時代の苦労話が始まると「長くなるから。」とお嫁さんのミドリさんが笑いながら止めに入る。
卒業して、1万数千qほど東に行ったメキシコ中央高原の小さな町の市場では、野菜のならびでスベリヒユが売られていた。
その少し前、アメリカ・カリフォルニア州、国境近くサンディエゴ郡の農場でメキシコ人の男達と働いていた。
トマト畑で手入れの作業が終わると、トマトの木のアクで手が緑色に染まる。
「これはトマトの青い実の汁でしごくとよく落ちるのさ。」
頭領のホセさんが教えてくれる。
そこから西へ1万数千q。ここ山梨でタケゾーさんのトマトを手伝っていると、タケゾーさん「これは青い実でしごくとよく落ちるっつーわけさぁ。」
知恵というやつは、数千qの距離などひとっ飛びのようです。
パンチョさんは人気者だった。
無口で、大きな体をかがめるように農場の作業をした。
正直者で、誰かが見ていようがいまいが、同じように働き、いつもにこにこしていた。
メキシコ人の仲間にも人気があり、農場主にも大事にされていた。僕も好きだった。
エリアルは嫌われていた。
あいつは嘘つきでズルい。皆が言った。そうなんだぁ、と思う間もなくクビになった。
あいつはいいヤツだ。というのはどこでも似たようなもんだ、というのはよくわかる。
感性というやつも距離を飛び越えるようです。
はじめてケージ養鶏の窓なし鶏舎を見たのは、1983年のカリフォルニアだった。
中に入ってみると、電気で照らされた薄暗い部屋の中に、ずらりとケージがならび、そのひどいホコリと臭いのなかでワーカー(農場労働者)が働いていた。
ケージの養鶏場は日本でも見たことあり知っていたけれど、ウインドレスははじめてだった。
これはキツイなぁ、と単純に思った。
「単純に思った」こんな感性は、多分、世界中どこへ行っても、誰でも、同じだと思う。
そのケージ飼いのたまごを食べたいと思うかどうか、という感性もまた世界中どこへ行っても、誰でも、同じなのではないのかな。
1個いくら。1パックいくら。
そんなのがなければ皆、世界中のどこのひとも、放し飼いのたまごを選ぶと思う。
それはよくわかる。自分もそうだな。
ただ、現場を知っている、ということなのだと思う。
だから伝えるのだと思う。
ケージ飼いのたまごに比べると高いのだけれど、それにはちゃんとした理由があることを。
比べると高いのだけれど、そんなにムチャンコな差ではないことを。
週に百円玉数個のこと(という言い方はおしかりを受けるかもしれませんが)。
ワンコイン・ツーコインの使い方に関するご提案をしているのだと思う。
夕方、家の前の倉庫でレタスの収穫用コンテナを片付けているとミドリさんがにこにこ顔で言う。
「サトー君、今夜はご馳走。蜂の子のご飯だよ!」
風呂に入り、皆で食卓につく。
へ〜、これが蜂の子のご飯かぁ。要は虫を混ぜるのねぇ、へ〜、あっはいはい、では、いっただっきま〜す。
ほ〜・・・ふ〜ん・・・はぁ〜・・・
あまり飛ばない感性も・・ある。