何年か前、たまごの営業で名古屋にいた。
営業の途中だった。
繁華街の真ん中、栄の松坂屋本店からワンブロック南に行った交差点の角に托鉢(たくはつ)のお坊さんが立っていた。
するとママチャリに乗った二十歳ぐらいの女の子がキキッと止まって、そのままお布施して手を合わせた。
うふふ・・
自転車から降りもしないで・・。あまりのお手軽さ、あまりの行儀の悪さに笑ってしまった。
そんなガジュアルな感じでいいんだ。
でもその女の子はふざけてるんじゃない、真剣だ。
きっとそれでいいんだな。お釈迦様もしばらくママチャリのカゴに乗ってるかも・・。
若い頃、なんだかお坊さんには縁があった。
高校の同級生にお寺の息子がいたし、大学生のときの年上の友人は日蓮宗のお坊さんだった。
(たまごブック#1のあとがきに書いた話ですが)大学4年、進路を決めなければならない時期にアルバイトをしていた中野富士見町の喫茶店のオーナーが高野山(金剛峰寺 真言宗の本山)から降りてきた若いお坊さんだった。
ときどき高野山の偉いお坊さんの話をしてくれたし、よく店の片隅で誰かの人生相談のようなことをしていた。
漠然と農業のようなことでやっていけないかな?と考えていることを知ったお坊さん、こう言った。
「ジョージ君、お百姓になりたいんやったら何でも自分で出来なアカンでぇ〜。」
まだ漠然としすぎていて、自分で営農するなんてことまで考えていなかったもんだから、全然ピンと来てなかったけど、いざやってみることになると本当にそうだったなぁ。
何かをすること、ってのは何かを理解することなんだと思う。
例えば会社勤めだったり、例えば子育てだったり、例えば何かの習い事だったり、例えばブログを書くことだったり。
ニワトリを飼っている。山で木を切り、鶏小屋を建て、エサを仕入れ、ヒヨコを育て、たまごを産ませ、箱に詰め出荷する。請求書を書いてお金をいただく。いろいろとある。
ひとつひとつ、調べて知って、自分でやってみて、自分の不器用さやいい加減さに気づく。
人におしえてもらい、相手の自分の心の動きを知る。
ひとつひとつ納得する。
なるほどねー。
お坊さんが言ってた「何でも」「出来な」ってのはもうちょっとまじめに何でもやってみようと思わないとダメだぜってことだったのかもしれないなぁ・・・。
メキシコから帰ってきて、しばらく東京にいた。
ちょっと気合いを入れようとかなり短髪にしていた。
短期の配達のバイトをしていた。
ある日、車にガソリンを入れようとスタンドに入っていくと、顔見知りになっていたバイトのにーちゃんが声をかけてきた。
「あのぉ俺、駒沢の学生なんですけど、今度永平寺行くんですけど、一緒に行きませんか?」
聞けば駒沢の仏教科の学生で、実習(?)で冬の永平寺(曹洞宗の本山 福井県)に行くことになったそうだ。
他の学生も皆、冬の実習は暖かい総持寺(同じく曹洞宗の大きなお寺 神奈川県)に行きたがるそうなんだけれど、振り分けで永平寺になったそうだ。
「永平寺は寒くてイヤなんですよー。」
・・・あのなぁ。
お坊さんなんだから、喜んで真冬の永平寺行きなさいよ。
それに。
俺は仏教が好きでこんな髪にしてるんじゃない。
気持ちが空回りして、へこんだり飲み過ぎたりしてるのを何とかしようと思ってるだけなんだから。
ほっといてくれよ!
お坊様には縁がある。