本名/三上裕平
生年月日/1974.12.20
血液型/A型
星座/いて座
干支/寅
動物占い/こじか
細木和子の六星占術 天王星人の陽(+)
少年時代の夢/絵描き→生まれて初めてなりたいと思った職業、5歳
今会いたい人/谷川俊太郎 ピエール・バルー ジョアン・ジルベルト
会いたかった人
三上和志 棟方志功 野口雨情 渥美清 草野心平 志賀直哉
ジェリー・マリガン ヴィニシウス・ヂ・モライス ポール・ゴーギャン
アンリ=カルティエ・ブレッソン
バイト歴
・喫茶店
・酒屋
・米屋
・コンサート、芝居のウラカタ
・選挙
・豆腐屋
・居酒屋
・中華料理屋
・2tトラックドライバー
・建設現場
・弁当屋
三上ゆうへい年譜(自作)
1974年 三上ゆうへい誕生
12月20日AM4:02、京都一燈園にて生まれる。三上家3人目にして待望の男の子ということもあり、周囲大喜び。踊り出す者約1名(いやぁ・・・困った参った)。この時、ドイツで哲学を学んでいた叔父(母親の弟)からエアメールが届く(これは今も大事に持っている)。とにもかくにも大いに期待され、末っ子長男として三上家の一員となる。
1979年 絵画への憧れ
絵画好きの母親だったこともあり、美術館によく連れていかれる。そこに繰り広げられる痛快な絵画たち。生まれて初めて何かになりたいと思う。絵描きである。(単純だ・・・。がしかし、いつしかそれは唄の世界へとつながるひとつの扉となる)。5歳の誕生日には母親から水彩絵の具をプレゼントされる。
1980年 一燈園小学校入学(スイングジャズとの出会い)
無事(!?)に学校という所に入学するも、さっそくいじめられっ子となる。軽い登校拒否を経験。この6年間で、世の中にはこれほどまでに怖いものがあるのかということを痛感する。以下はほんの一例・・・犬、猫、ニワトリ、プール、鉄棒、飛び箱、高所、暗所、狭所、大人、同級生、集団、トイレ、お化け、夜、海、山・・・(まだまだある)。あまりに臆病だった反動からか、高学年になる頃には開き直りのいじめっ子に変貌。孤独になっていく。その一方、4年生でサッカー少年になる。5年生になるとトロンボーンを習い、そこでグレンミラーやベニーグッドマンたちに出会う。周囲から浮き始めていたゆうへい少年にとって、スイングジャズはとびきりイカしてた。クールだった。そして優しかった。
1986年 一燈園中学校入学(ブルースとの出会い)
中学に入ると孤独感は増すばかり(被害妄想と自己嫌悪の嵐が吹き荒れる!!)。それと関係しているのか否か、興味を持った楽器にはどんどん手を出す。トロンボーンの次はリコーダー(しかもソプラノではない。アルトなのだ。音が太く、それはカッコ良いのである)に、通信教育でクロマチックハーモニカにも挑む(トゥーツシールマンスやスティービーワンダーのようになりたかった・・・)。本屋を物色中、偶然手にしたブルースハープ教本。以来、ブルースに釘付け。ブルースハーピスト、リトルウォルターとの出会い。ゆうへい少年13歳であった。その後、唄(言葉)に興味を持ち、ギターを始める。ブルースとの出会い無くして今の僕は有り得ないといった大事な瞬間がそこにはあった。
1989年 一燈園高等学校入学(唄をうたう)
高校に入ると唄、音楽に夢中。同時に女の子にも夢中。がしかし恋は実らず、さらに音楽に傾倒していく。唄うこと、言葉に、より自分の世界を探す。この頃から、作詞作曲を始める。それと平行して、自分が生まれ育った一燈園について探究する。西田天香、三上和志(僕の祖父だ)の著書を読み漁る。その中で起こる多くの疑問を、周囲の大人たちに問い掛けるも、誰ひとりとしてそれに対する答えを持っておらず、挙句の果てには何故だか叱られる始末。孤独感は不信感へと変わる。ゆうへい少年周囲から浮きまくる。それでも音楽は優しかった。いつだって優しかった。
1993年 一燈園脱出(自由へのはじめの一歩)
"唄いたい" 当時ゆうへい少年の頭の中には漠然とそれしかなかった。一燈園の中では、"ここでは唄っちゃいけない"、"そこも駄目"と不自由さを感じ始める。"ここを出なくては"という意思が生まれる。それは日々強くなり、とうとう脱出!! "やった、やったね!!" という心境であった。そこから自由さと不自由さをてんびんにかけるといったバイト生活が始まる(今も続いている)。言うまでもないがアルバイトというのは楽しいといった場面はそれほど多くない。がしかし、今やれることをやるといったところで、楽しい経験もある。生きていく中で大事な景色もある。その中で唄はいくつも生まれた。
1994年 ライヴハウスという所に初めて出演
アルバイトで知りあった人(選挙のバイトだ)が、たまたまバンドでベースを弾いているということで、彼が出演しているライヴハウス(三条木屋町のライヴスポットラグ)に足を運ぶ。その中でいろんな人のステージを観たし、話したし、とうとう出演してしまう。有料のお客さんの前で演奏するという最初の貴重な経験となる(そりゃあ緊張しましたよ)。その後、数々の店、ステージを経験していく。多くの人と出会い、考えたくもないほどの酒を飲み、ツアーにも出た。アルバムも作っていただいた(三上ゆうへい1stアルバム"本当の夜が来る前に")。あっという間の10年余りであった。そこで出会った人たち、唄を聴いて下さった人たちに感謝したいと思う。
2005年 運命ともいうべきデュオ結成
鈴木こうという男は、4年くらい前から知り合っていたし、たまに会っては酒を飲んだり、演奏したりという仲だった。がしかし、しかしである。ある時僕らはいつものように約束して宴を設けたのだが、それが運のつきだった。以前から何か出来ないものかと話だけはあったが、その日は違った。"出来たらいいね" といった今までのような生易しいものとはあきらかに空気が違う。彼は本気だった。僕も本気だった。気が付けば僕らは抱き合っていた─というのはウソで、リハーサルの日まで決めていた。かくしてデュオは結成された。機は熟したのである。二度目のリハーサルは2005年の大晦日、この時の音源はMDに残されている(大事な記録だ)。そして翌年1月には初ステージが決まっていた。今やれることをやる(何でもそうだ)といったところで僕らは演奏している。それは必ず次につながるはずだから、そして唄いたいことがあるから、奏でたい音があるから。思えばずっとそうだった。13歳の頃からだった。いつだって音楽は優しかった。そんな風にこの先も鈴木こうと唄を奏でていきたい。この年譜とやらの続きを読んでみたい。そんなことを思っている2006年初夏のゆうへい少年である。

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