いやはや、年末という時期の、清掃業というものの、何と忙しいことか。
毎年のことであるのだが、何度体験しても「限界に挑戦」という感を新たにする。
言い訳がましいが、ずいぶんとこのブログもサボってしまったものだ。
この間、怒涛の日々の中、何本かのライブを見に行った。
そして19日に初めて、続いて23日に2回目の、相棒の面会に行った。
想像していたよりもずいぶんと元気そうな、むしろ前とほとんど変わらない顔つきの彼がいた。(もちろんそれは、「トンネル」を抜けた後だったからなのだが。)
一年前とは違い、ガラス張りの「水族館」ではなかった。(本人の要望が実現したようだ)
しかし、抗癌剤投与後の抵抗力が落ちた状態には変わりない。
病室のベッドをビニールの蚊帳のようなものが包み込み、「ゆるやかな水族館」の中に彼はいた。
完全密封ではないため、今回は受話器の必要もない。ビニールの壁を隔てて、互いの肉声を受け取りながらの会話である。
相棒は(二度目となる)入院生活への慣れを語った。
僕はそういう彼を見舞うことへの慣れを感じていた。
「再発」という事態は明らかに、前回とは違うレベルの覚悟と闘いを要求して来る。
しかし、生きて行くこと、そのために立ち向かうべきものに向かって行くこと。この基本原則だけは変わらない。
一つ一つのことに一喜一憂し過ぎないためにも、それぞれの「慣れ」は重要だ。
あまり詳しく書こうとすると、また投稿が遅れてしまうので、かいつまんで行こう。
僕たちはこれからの活動についても話し合った。
しばらくは二人で舞台に立つことは出来ない。
しかし、相棒は病室にウクレレを持ち込んだ。
誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントをかねて、僕は彼に小さなギターを贈った(ちょっと面白い楽器なので、これについてはいずれ書いてみたい)。
彼は楽器を弾くことも出来るし、曲を書くことも出来るかもしれない。
つまり、彼は彼の現場で出来る「活動」の形を整えている。
僕の「活動」については「そちらに一任する」と彼は言った。
僕にも、思うところがあった。
楽団の片翼として、出来ることをやって行こう。
自分一人で出来ることをやり切りながら、出来ないことは素直に人の力を借りながら、やって行こう。
このスタンスについては、今までいろんな「旅」をして来たことへの、ささやかな自負がある。
どういう「活動」になるのか。
再発の知らせを聞いてから考え続けて来たことに、僕は一つの形を与えようとしている。
アイデアは固まりつつある。
サラバ楽団が二人そろって舞台に立つのは、しばらく先のことになるでしょう。しかし、それまでの間、楽団は活動をやめません。
それまでの間、たった一人でも僕は舞台に立とう。
これについても、追々書いて行きます。
そして昨日から、楽団とも清掃業とも関係のない、もう一つの仕事が始まった。
これについては、年が明けてから書くことにしようと思うが、一言だけ記しておこう。
人生とは、不思議なものだ。

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