「イモウトノケッコンシキノシカイ」を引き受けてしまったはいいが、さて、何をすればいいのだろう。
考えてみると、結婚式というものを殆ど知らない。友人の式に参加したことは何度かあるが、愉快に飲み食いして歌って来た、ということの他、あまりよく覚えていない。
その時の司会者というものを思い出そうと試みる。
ああ、そうだったそうだった。何やらゴージャスにめかしこんだオバチャンが、これでもかというくらいドラマチックに「新郎新婦の入場です!!」とやっていた。まさか、あれを要求されている訳ではあるまい。
それに、僕が司会をやる以上、普通の式と全く同じようにというのはやはり無理がある。何か、「兄が司会をやる」ということを成立させる戦略というか、ある種の演出は要るだろう。
妹と話をしてはみるのだが、どうもボンヤリとして要領を得ない。僕には、会話とは別に、彼女の心の中の声が聞こえてくるようなのだ。
「こう兄ちゃんなら、人前で話すのも慣れてるし、それなりに面白おかしくやってくれるはず・・・大丈夫っしょ!」
何かこう、根拠なき信頼、オマカセモードな匂いがプンプンして来るではないか。
・・・すごく、不安だ。
僕はついに、彼女に一つの条件を出した。
「企画の段階から関わらせてもらいたい。」
妹が断るはずもなかった。
ああ、よせばいいのに! これでは、オマカセになることを恐れるあまり、俺に任せろと言ってしまったも同然ではないか。どうしてこんな簡単なことに、あの時気がつかなかったのか・・・。
ちなみに我が親父、ごぞんじ一策(いっさく)は、新婦と腕を組み「?ぁーじんろーど」を歩かされるハメになったらしい(フツウのことか)。この話を聞いた時は思わず爆笑してしまったが、直後に、笑ってはいられない我が身の現実に思い至る。
親父よ、男はつらいな。
ああ、不安だ。何すりゃいいんだろ。
早く知りたい。知ってしまいたい。そして早く、自由になりたい。
そうだ、勉強してしまおう。 名案だ!
しかし、悲しいかな「妹の結婚式の司会をやることになったお兄ちゃんのために」などという本はある訳がない。そんな奴は、圧倒的少数派なのだ。
所詮、少数派は多数派にまぎれ、多数派にもまれながら生きるのが宿命だ。ならば、多数派の操る情報を仕入れ、これを自分に必要なかたちに変換して行く、読み替えて行くという作業をすればいいのではないか・・・
こんなことを必死で考えながら、ふと見上げた電車の中吊り広告に見つけたのが、あの四文字だったのである。
こうして私は、『ゼクシィ』という未知の大海に、一人漕ぎ出したのです。

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