今日は幼稚園の現場。
そこに写真のウサギがいた。
この春に入園を控えているのか、三才くらいの男の子がお母さんに連れられてやって来た。
ウサギを見ると、緊張気味の顔がパッと笑顔に変わった。
「ママ、見て! カワイイッ!!」
というその子自身がまたカワイイ。
坊や、その気持ち、分かるなあ。
幼年時代、どういう訳か僕は昆虫や乗り物など、男の子ならたいていは興味を示すものに執着がなかった。まあ、それなりにカッコイイとは思うが、情熱は 湧かなかった。
その代わり、熱烈なウサギ党であった。
本物のウサギも縫いぐるみも、共に愛した。
しかし、ごうつくばりで飽きっぽい子達のように、いくつもの縫いぐるみを集めるというようなことはしなかった。
当時から、ゼイタクは苦手であった。
いや、それよりも必要性の問題であったろう。これだ!という縫いぐるみがひとつあれば、あとは要らなかった。
そのオンリーワンとの出逢いがあった。
その日お袋はひとつのプチ・サプライズとして、ジャジャーン! とその縫いぐるみを僕に見せた。
それを見るなり僕は、その場で、とろけてしまったそうだ。
お袋にとってはビッグ・サプライズであった。
そのウサギを、僕はありったけの愛情を込めて「うさちゃん」と呼んでいた(ものすごく、フツーだ)。
僕には持論があった。縫いぐるみは外見も大事だ。しかし同時に、手触りも、もっと言うと、鼻触りも極めて重要であった。
「うさちゃん」の、特にその左耳で自分の鼻をなでると、言い知れぬ恍惚感に包まれるのであった。
僕は「うさちゃん」を一途に愛し続けた。
純白だった「うさちゃん」はいつしか、これぞ雑巾色とも呼ぶべき色に変わっていた。
今だから言えることだが、「うさちゃん」との添い寝は小学五年生まで続いたのである。
人に歴史あり。
それにしても、今日ウサギを見て歓声を上げたあの男の子が、三十数年後には僕のようなオッサンになってしまうとは、人生は誠にドラマチックなものであ る。


0