昨日の現場はなかなかハードなものだった。
自分の部屋のそうじなど出来たものではない。「劣等生」など取り組む余裕がなかった。
我ながら、あまりに露骨な言い訳だ。
まあ、ハードとは言っても長時間重労働というだけのことで、べつだんピンチと呼べるほどのことは何もなかったのだが、ある種の連想が働いたのか、ふと、我が尊敬すべき友人の名言を思い出していた。
それは僕がフランスの語学学校にいた頃。
学校の寮にはかなりの数の日本人学生がいて、それぞれ気の合う者同志のグループのようになっていたり、孤独であったり、まあ色々であった。
僕などはガッチリ飲み仲間ができていて、毎週末は僕の部屋で安ワインをあおりながらドンチャン騒ぎに明け暮れていた。
名言とは、その中の一人、J氏のものである。
ある時、仲間の何人かが、長期休暇を利用して、スペインだかへ海外旅行に出かけた。
いってらっしゃいと送り出したのだが、数日後にJ氏に電話がかかってきた。
旅先からの国際電話である。
なんでもスペインの地ではぐれてしまい、迷子になっているという。はぐれた相手も寮に電話してくるかもしれないから、その時はどこどこにいると伝えてくれとのことであった。
その時、J氏は受話器の向こうの仲間に、ためらいもなく言い放った。
「そうか、そりゃあ良い思い出になる。ガンバレよ!」
以上。
僕は感動すら覚えたものだ。
言葉の通じない異国で迷子になる。確かに不安である。最悪の事態ももちろんありうる。しかし、こちらにできることは、さしあたり何もない。一緒に不安に陥ったり慌てたりしても、それこそ何にもならない。
それよりは、いつかその体験を振り返る時を思い浮かべてみる。たしかに、「あのときはなあ、全く・・・」などとみんなで笑ってしまう絵がパッと浮かぶかもしれない。
僕などはこの傾向が非常に強く、ピンチの時も、いつかこれをあいつらに話してやろうなどと思うだけで俄然元気がわいてくる。
だからJ氏の言葉は、ぶっきらぼうで能天気のようでありながら、この上なく優しいものに思えたのである。
この状況で、この言葉。まさに名言であった。
僕はこの言葉が大好きだ。
J氏とは、前にブログに書いた、ブルゴーニュのぶどう畑でワイン職人として働いている我が友人その人である。
それぞれ道は違うが、異国の地で孤軍奮闘という意味では僕と境遇が同じで、お互い相手の存在を励ましとしていた。ひとつの時代をともに闘った戦友という思いが少なくとも僕にはある。
何度もピンチを自力で乗り越えたひとだからこそ、口に出来る名言であったと思う。

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