『今日は死ぬのにもってこいの日』(ナンシー・ウッド著、金関寿夫訳、めるくまーる社)。
前から気になっていた本だ。
著者のナンシー・ウッドはアメリカに住む白人の女性であるが、ネイティブ・アメリカン(アメリカ・インディアン)達と長年の交流を持ち、その中で彼らから受けた教えに感銘し、それを自身の言葉で詩集としてまとめたのがこの本だ。
感動した。
何事にも「出逢いの時」というものがあるのだろう。やっと出逢えたという思いがある。
長短おりまぜた、いくつもの詩は、それぞれ独立しているようでもあり、連続しているようでもある。
少し長いが、その中のひとつを紹介させていただく。
「 年月の広がりの中で、わたしは自分自身を時間で包む、
人生の様々な層で、わたしを包み込む毛布のように。
わたしは君にこうしか言えない、
わたしはどこへも行かなかったし、あらゆるところへ行ったと。
わたしは君にこうしか言えない、
今やわたしの旅は終わったけれど、実はそれは始まっていないのだと。
過去のわたしと未来のわたし
それはいずれも、今のわたしの中にある、このように。
わたしの中には
遠く広く見るのだと教えてくれた鷲と一緒に
東へ向かって旅をする「少年」がいる。
鷲は改まって、こう言った、
君が住んでいる小さな世界など
あんまり重要ではない、と思えてくるような
「飛翔の時」というものが、この世にはある。
君の目を天空に向けるべき時間があるのだ。
わたしの中には
自分の内部を見つめよと教えてくれた熊と一緒に
西へ向かって旅をする「少女」がいる。
熊は立ち上がって、こう言った、
友達の風采の真似などしたくなくなる
「自尊の時」というものがある。
君自身と親しく向き合う時間があるのだ。
わたしの中には
叡知を教えてくれたバッファローと一緒に
北へ向かって旅をする「老人」がいる。
バッファローは姿を消して、こう言った、
君が前に聞いたことのある話などしたくなくなる
「不信の時」というものがある。
「沈黙を守るべき時間」というものがあるのだ。
わたしの中には
わたしの限界を教えてくれたネズミと一緒に
南へ向かって旅をする「老女」がいる。
ネズミは地面にくっついて寝そべり、こう言った。
夜、君が皆に忘れられてしまったか、と感じたりしなくなるような
「小さなものに慰めを見いだす時」というものがある。
「虫を楽しむ時間」というものがあるのだ。
昔はこういうふうに、ことが運んだ。
これからもそういうことになるだろう。
鷲と熊
バッファローとネズミ
すべての方角でわたしに交わり
わたしの人生の円環を形づくる。
わたしは鷲。
狭い世界は、わたしのやることを笑いのめす。
だが大空は、不滅についてのわたしの考えを
その胸に収めて、他に語らない。
わたしは熊。
独りいるとき、わたしは風に似ている。
雲を集めて、吹き飛ばす。
するとそれらの雲は、わたしの友達の風貌に似てくる。
わたしはバッファロー。
わたしの声は、わたしの口の中でこだまする。
わたしが人生について学んだすべてを
わたしは焚き火の煙と分かち合う。
わたしはネズミ。
わたしの人生は、わたしの鼻の下で進行する。
地平線を目がけて旅をすれば、いつもわたしが見いだすのは
地平線でなくって穴ぼこだ。」
他にも素晴らしい詩がいくつもあった。
遠く日本にいて、こうした生き方、考え方を身につけるのは難しいかもしれない。
しかし、こうした生き方、考え方、ものの見方を身につけている人達が実際にいたし、現にいるらしいということに励まされる。
憧れる。
しかし、憧れだけで終わらせるまい。
少しでも近づけるならば、その方がいい。
彼らに近づけるよう、彼らを仰ぎ見る。
日本の地で、それをしたい。
この地で、自分の言葉で、詩を、見つけたい。

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