ブラジル 出口
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(わかる人にだけわかる挨拶)
そんなワケでダ・ヴィンチ・コードですよ。
昼以降の上映だと人がごった返して大変なので(映画にもよるけど)わざわざ9時半からの朝1回目に間に合わす。そいでもって朝の7時にもそもそ起床したらマイ母「アンタ大丈夫ね!?」と、いらん心配される。私が日曜の朝に起きてるのがそんなに不思議ですか母。(−−;
チケット買ったらそこは座席が全席指定なのだとかで。いつもの中央最前列を指定したらなんか「本気ですか!?」って顔で「かなり見え辛いですが大丈夫ですか?」とか聞かれる。大丈夫ですかも何も好きなんだから別にいいじゃんとか思いながらいざ劇場に入ると。
先生!
本当に
見え辛い
です!
_| ̄|○
ってゆーかココ最前列が前すぎ。_| ̄|○
いやね、いつも映画見るときは最前列に座るんですよ。だって映画ですよ?デカいスクリーンをなるべくデカいままで楽しみたいんですよ。なにより周囲に他のお客がほとんど座ってないのが良いです。アレですよアレ。すぐ前や隣でカップルがイチャついてたり上映中にいらんオシャベリしてたり子供が途中で飽きてチョロチョロしだしたり、あとあのベラベラ先を話すヤツ。あれが特に嫌で嫌で。迫力の大画面と静かな映画鑑賞のためなら首の1つや2つどうってことないです。ンまあ、ただ単に貧乏性と言われればまあそうなのかも知れませんが。
それで肝心の映画ですがね。
米国にて評価Cランクを食らったわりには良くまとまっていたと思います。殺害されたルーブルの館長。その孫娘にして暗号解読官のヒロインと共に残されたメッセージ=ダ・ヴィンチの謎を追うストーリー。いくつか原作と違う箇所がありましたが映画を見やすくするためなら、まあ許容範囲だと思います。
ただ。
主人公の閉所恐怖症についての説明がされないので途中2箇所のビビリシーンが意味不明になっている。終盤ギリギリで説明はされるが「閉所恐怖症だ」とは一言も弁明しない。
主人公の愛用品・ミッキー時計に関する説明もないので、原作を知らないとただの変なオッサンだ。
犯人役の異教徒が教義に従って「自らを戒める」行為をするのだが、その解説が後回しのため、これも原作を知らずに見るとただの変態マゾプレイにしか見えない。
ヒロインの首筋にイボのようなものがあり、オーラスの一番いいシーンでそのイボ的な何かがチラチラ見え隠れするので若干台無しになってる。
最大の醍醐味である「最後の晩餐の謎明かし」のシーンが端的にまとめすぎ。説明もやや難解で若干不親切。
とにかく薀蓄含蓄、その他説明的なセリフが多いため途中で若干面倒になる。格好つけずに素直に翻訳版を見たほうがわかりやすい。
以上の点だけ気をつけて見れば、まあまあ楽しめる・・・ハズです。原作ファンのためのマストアイテムの域を超えないと言われればまあそうなのかも知れませんが、ミステリ作品としてはそれなりにスタンダードな作りになっているので(キリスト教云々の薀蓄をスルーすれば)原作読んでなくてもそれなりに楽しめる作品なのではないでしょうか。
(でも観客が帰ってもいいからキリスト教薀蓄をもっと増やして欲しかったと思ったのは私だけでしょうか(−−;a)
あとそれから、スタジオジブリの新作「ゲド戦記」の劇場CM見ましたよ。ラピュタとかナウシカとかのあっち系列の画面が非常に懐かしかったです。コレちょっと気になりました。
→ダ・ヴィンチ・コード続編製作決定!
正式には続編ではなく第1作(日本ではこちらの方が後に発売されましたが)の「天使と悪魔」の映画化が決定した。
決定したが問題は山積みだ。
ダ・ヴィンチ・コードはヴァチカンに問題視されている作品。ただでさえ疎んじがられているのにその前作「天使と悪魔」を作るとなると、その内容がさらに問題だ。
これが何と「次の教皇を決定する『コン・クラーベ』の真っ最中のヴァチカン市国に都市1つを消滅させる力のあるシャレにならない超強力時限爆弾が設置され、さらにカウントダウン代わりに次々と教皇候補が殺される。そしてそれを見つけるためにヴァチカンを走り回る」と、ゆーモノ。“ダ・ヴィンチ”スタッフがヴァチカンの内外を縦横無尽に走り回ったら多分間違いなくハッ倒されるのではなかろうか。それを一体どうやって「映画化」するのか。疑問は残るがとにかく映画化決定だ。
では今回はこの辺で。