<琴平参宮電鉄廃線跡>
多度津工場引込線のシャトル列車に乗って多度津工場に着いたあと、見学は後回しにして母方の菩提寺である勝林寺に墓参してきた。通常なら多度津駅からタクシーだが、きょうは年に1度の多度津工場引込線に列車が走る日なので歩いて行ける。その勝林寺は、昭和38年に廃止された琴平参宮電鉄の廃線跡に沿った道に面している。廃線跡を訪ねながら墓参りしてきた。
多度津工場の正門を右に出て5分程のところに道路トンネルがある。桃山トンネルといい、かつては琴平参宮電鉄の軌道敷があった。トンネル手前の交差点には、多度津桟橋通駅があった。鉄道の開業は大正3年(1924年)である。古い写真を見ると立派な駅舎があり、瀬戸内海を船で渡ってきた人たちが多度津港の繁華街を歩いて乗り換えていたという。ここから電車に乗って金比羅さんへお参りしていた。多度津が四国随一の港町だった時代は、国鉄宇野線の開業で一変する。宇高連絡船が開業すると高松港の方が主力となり、江戸時代から本州との海の玄関口として栄えてきた多度津は地盤沈下し始めた。
金比羅さんへの鉄道は、全盛期には讃岐鉄道(→国鉄→JR)、高松琴平電鉄、琴平参宮電鉄、琴平急行電鉄の4社あり、琴平には駅が4つあったという。当然のことながら過当競争で、前2社しか存在していない。琴平参宮電鉄は路面電車スタイルの電車で、多度津桟橋駅を出ると、善通寺で丸亀から来た線と合流し、琴平へ向っていた。終点の琴平駅の跡地は前述のとおり、琴参閣という立派な温泉ホテルになっている。
多度津桟橋通駅とはいうものの、今では埋め立てが行われて海岸線はずっと先になっている。埋立地には工業団地が立地し、造船所が林立する。東京スカイツリーの鉄骨を作った工場もその一角にある。駅舎跡は琴参タクシーの営業所になっていたが、いまは痕跡をとどめない。が、トンネルと軌道敷だけは改修され、道路として今も現役で活用されている。
多度津桟橋通駅跡の交差点を右に曲がると多度津港へ至る。まっすぐ行くと桃山トンネルをくぐる。トンネルの竣功票を見ると昭和49年とある。鉄道の廃止が38年だから、10年余は廃線跡のままだったのだろうか。電鉄の後を継いだ琴参バス、琴参タクシーとも2009年に破産し、会社そのものが現存しない。まさに「つわものどもが・・・」の感がする。

現存する桃山トンネル。この手前に多度津桟橋通駅があり、電車は金比羅さんへ向っていた。

多度津桟橋通駅跡には何も残っていない。右手が桃山トンネル、手前が多度津港、この交差点付近に立派な駅舎があった。左右の道路が軌道敷である。

桃山トンネルをくぐって反対側に出たところ。立派な道路で、とても電車の廃線跡とは思えない。この道路に面して右手に勝林寺が、左手には少林寺拳法の総本山ある。

桃山トンネルの竣功票。電車の廃線が昭和38年だから10年後に完成したことになる。煉瓦巻からコンクリート製に作り変えられたという。

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