<予讃線振り子特急で松山へ>
多度津から松山まで、予讃線の振り子式電車特急「しおかぜ」「いしづち」号に乗車する。用意してきた乗車券は「多度津⇒宇和島」と「多度津⇒松山」の自由席特急券。その日のうちに宇和島まで行けば1枚の特急券で乗れるが、翌日なので通しの特急券は使えない。前寄り2両は高松からの「いしずち」号、後5両が岡山からの「しおかぜ」号である。車掌は2〜3両目の連結部の運転台に乗務していた。車内改札の際のスタンプは「アンパンマン」のデザインだ。
多度津を出るといきなり加速した。カーブではかなり傾いており、瀬戸内海を眺めながら景気のいい走りっぷりは爽快だ。車内を見渡すと7割程度の乗り込みで、高速道路に食われていると聞いていたが、予讃線はJR四国の屋台骨なので喜ばしい限りだ。観音寺、川之江、新居浜などに小まめに止まりながら乗降を扱ってゆく。伊予西条はこの春に来たばかり。第4代国鉄総裁の十河信二さんの出生地で十河記念館がある。四国鉄道文化館にはDF50型機関車が動態保存されている。本線とレールがつながっているので、いつの日か本線運行を期待したい。
車内ではブログでお世話になっている
Takehopeさんとご一緒の旅なので、2時間近くかかる松山まであっという間に着いてしまった。終点松山では同じホームの前後で縦列停車している宇和島行の特急「宇和海」に接続している。改札を出てtakehopeさんといったんお別れし、今日泊まる「
ホテルサンルート松山」にチェックインした。
・多度津13:22(しおかぜ11号11M)→15:17松山 *8000系8連(8403に乗車)

ホテル客室横から松山駅を俯瞰する。鉄道の見えるホテルとして合格だ。
<伊予鉄市内線と坊っちゃん列車>
サンルートは全日空の「旅達」で予約したホテルである。事前に電話で「電車の見える部屋」をお願いしておいたところ、8階の一番松山駅寄りの角部屋がアサインされた。部屋に入ると絶好の眺めながら、タバコ臭かったのでしばらく窓とドアーを開けっ放しにして換気した。予讃線のダイヤでは頻繁に列車が通るわけではないが、ホテルの眼下の高松寄りにWクロッシングのポイントがあり、松山駅構内の一部としてしばしば列車が転線する。そのため本線列車の他に、構内入替の列車などたくさんの車両を見ることが出来た。
ホテルへ荷物を置くと、フロントで伊予鉄市内線の「1日乗車券」を購入した。400円という廉価な価格で、3回乗れば元は取れる。さっそくJR松山駅前電停からスタートする。まずは先に来た電車ということで、環状線に乗り込んだ。木の床の74号車で、釣り掛け駆動のモーター音が路面電車らしい。JR松山駅前から単線になり、やがて併用軌道が終わる。古町で郊外線と斜めに平面交差する。どちらも架線電圧600Vなので絶縁部分はない。単線の専用軌道を走り、上一万の手前から併用軌道に戻る。ここで道後温泉方面に乗り換える。双方の安全地帯は地下道で結ばれているが、道後温泉行き電車が到着していたので軌道敷を横断して乗り換えた。
道後温泉行きは最新鋭の2100型であった。アルナ工機製の軽快電車で低床構造になっている。その代わり、運転台と最前部ドアーとの間は異様に空いており、乗降を扱うたびに運転士は立ち上がって運賃箱のところまでやってくる。やがて終点の道後温泉駅の駅舎が見えてきた。木造駅舎だ。線路は少し先まで伸びていて、折返し線になっている。そのわきに、坊っちゃん列車の展示線があり、ちょうど蒸気機関車を模したD1型デイーゼル機関車が客車2両を従えて停車中であった。マドンナ姿のお嬢さんが観光客の記念撮影に応じていた。道後のアーケード街を歩いてみたかったのだが、あと数分で坊っちゃん列車が発車するという。せっかくなので乗ってみることにした。
坊っちゃん列車は、夏目漱石の小説に出てくる列車を再現したもので、路面電車の線路をSLが走るわけにはゆかなかったとみえ、ディーゼル機関車による運行となった。運転士は乙種内燃動力車運転免許を取得している。運行開始は2001年で、もう10年以上も続いている。駅舎内の売店で整理券をもらう。<9>番とあったので、乗車は大丈夫だろう。先ほどまで展示してあった編成がいったんバックして引上げ線に入り、スイッチバックしてホ
ームへ入ってきた。客車は2両連結なので、空いていた後の客車に乗車した。

道後温泉駅には坊っちゃん列車の展示用側線が設けられていた。マドンナとの記念撮影にも応じる。

本線へ出るため推進運転で転線が始まった。
道後温泉16:16分発の坊っちゃん列車は、10〜2月の土日のみの増発便である。発車すると車外スピーカーから流れる蒸気機関のドラフト音、水蒸気による模擬の煙など、SLもどきの感は否めないが、路面電車ならぬ路面蒸気機関車としてはかなり凝った仕掛けである。途中ほとんどの停留所には止まらず、大街道、JR松山駅、古町のみに停車する。車掌による案内放送、ポイント部分でのダミーのビューゲルを上げてのポイント切換えなど極めて興味深い。大街道では反対側をもう一つの編成とすれ違った。お互いに汽笛を交わしながら・・・。大手町では高浜線と盛大なジョイント音を奏でながら平面交差した。
JR松山駅で降りようかと思ったが、古町が終点なのでお付き合いした。郊外線との斜め平面交差は大手町以上だった。古町で乗客を降ろしてしまうと今日の運行が終わる。車庫線へ引上げて機関車を方向転換して付け替え、明日の運行に備えて留置された。
・JR松山駅15:50(伊予鉄環状線)→16:06上一万 *74号車
・上一万16:07(伊予鉄道後線)→道後温泉 *2110号車
・道後温泉16:16(坊っちゃん列車)→16:39古町 *D1型+ハ1+2

第1編成の坊っちゃん列車は2両連結で、車内もシックな木造様式である。

車掌さんは2両を渡り歩いて案内に務めていた。

連結器はバッファー型だ。

山上には松山城がそびえ、その下にはレトロな愛媛県庁がある。

大街道で第2編成とすれ違った。お互い汽笛を鳴らしてあいさつ。

大手町で高浜線と平面交差した。豪快な音を立てる。

終点の古町に着いた。ここの車庫であすまでお休みだ。

客車だけは手押しで操車される。意外と軽いんだ。

電車と並ぶと機関車はほんとうに小さい。

車庫線の奥に押し込み、1日の運用が終わる。
<伊予鉄の郊外線>
古町からは郊外線に乗車する。松山市行が先に来たので乗車する。東武鉄道の20000型をモデルにした610型で、台車は東武2000系からの廃車発生品である。大手町では先ほど坊っちゃん列車で通過した平面交差を通過した。松山市に着くと以前はここで終点だったが、電車はそのまま横河原線へ直通する。2分の停車の後、横河原へ向けて発車した。
高浜線から横河原線に入ると架線電圧が750Vに変わるが、電車の側には特段の装置は付けられていない。電圧計を見ていると針が600Vから振れる。2つ目のいよ立花からはかつて森松線が分岐していた。伊予鉄では昭和40年代まで電化されない区間が多く、森松線も横河原線も非電化路線であった。
電車は交換を繰り返しながら、終点の横河原に着いた。だいぶ暗くなってきたので、木造駅舎と白熱電球との組み合わせが侘しさを醸し出していた。駅前を散策するもこれといったものはないのでそのまま折り返す。リーーンという発車ベルを聞きながら横河原を後にする。すっかり暗くなってしまった松山市駅で下車。いよてつそごうから、いよてつ高島屋になった駅ビルをぶらつく。直ぐに駅前から市内電車で大街道まで乗車する。松山一の繁華街である大街道をぶらつきながら、友人から紹介された
小判道場という料理屋へ向かった。老夫婦でやっている愛媛の小料理を供する店で、ここでtakehopeさんと合流。あまぎ(いぼだい)という小魚のから揚げや、刺し身などを堪能した。

坊っちゃん列車の後は古町から高浜線に乗車して松山市駅に向かう。市内線とのクロッシングが面白い。

古町に続いて大手町でも豪快に平面交差する。路面電車と郊外電車との平面交差、かつては京都や福岡などにたくさんあったが、全国でもここだけになってしまった。

古町から乗った高浜線は松山市からそのまま横河原線へ乗り入れる。終点の横河原まで乗り通した。

ぷつんと切れた終端部。木造駅舎と近代的電車が好対照だ。

旧字体の駅名票だ。

横河原から松山市へとって返し、大街道まで市内線に乗車した。
帰路は、大街道から市内線へ乗車。いいタイミングで本町線がやってきたので終点まで乗り通して西堀端まで折りかえした。徒歩で松山駅まで行き、途中の大手町で車の少なくなったのをいいことに、道路の真ん中まで出て行って伊予鉄の平面交差を撮影しておいた。
こうして長い1日が終わった。今日の乗り歩きで、伊予鉄市内線は2度目の完乗。郊外線には明日どこまで乗れるか。電車の見えるホテルの一室では、結構遅くまで踏切警報機の音などが聞こえ、いい子守唄代わりになった。
・古町17:00(伊予鉄高浜線)→17:36横河原 *610系2連(661に乗車)
・横河原17:44(伊予鉄横河原線)→18:13松山市 *610系2連(611に乗車)
・松山市駅18:22(伊予鉄)→18:29大街道 *2003に乗車
*小判道場で会食
・大街道21:15(伊予鉄)→21:26本町6丁目 *71号車
・本町6丁目21:30(伊予鉄本町線)→西堀端 *71号車

大街道を脇へ入った「小判道場」という店で松山の味を堪能した。

ふぐに似たハギの薄作り。絶品だった。

新鮮なお魚料理が美味い。あまぎのから揚げ。

飲み会の後は市内線で本町まで乗車。目の前の城北線が行ったばかりだったので同じ電車で引き返した。

西堀端から歩く。途中、夜の大手町クロッシングでは車が来ないので車道へ出てみた。
*紀行記は、「
鉄道のページ」でご覧ください。

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