大畠駅で降りると駅舎は予想に反して山側にあった。ここで周防大島へ渡る防長バスに乗り換える。いまや国鉄バス(→中国JRバス)は島から撤退し、防長バスで運行されている。結構な本数は確保されており、バスだけで島を一周することも出来る。しかし、わずか数時間の滞在だけでは無理なので、バスが途切れる区間はタクシーを利用する。周防久賀駅〜町立橘病院間(かつてはいずれも国鉄バスの駅が置かれていた)は、前日に地元のタクシーを予約しておいた。

大畠駅から周防大島へ向かうバスは柳井港発で、予定通りにやってきた。

大畠駅を出ると直ぐに大島大橋へ駆け上った。全長は1キロちょっとで、歩道も併設されていた。

大島大橋を渡り終え、本州を俯瞰する。大島側の橋のたもとには東瀬戸停留所が設けられ、駐車場と高速バス停が置かれていた。

周防大島最大の集落である久賀に着いた。観光協会の建物にバス停が併設されており、かつての国鉄バス時代を彷彿させた。

周防久賀から安下庄(あげのしょう)まではタクシーで移動。かつては大島南部の最大の集落だった。国鉄バス安下庄駅の駅舎が残っていた。

安下庄の集落のメインストリート。旅館や飲み屋、商店が並んでいた時代の面影はない。

安下庄のバス終点は町立橘病院前に置かれている。大畠駅行きの防長バスが回送されてきた。

それにしてもどこへ行っても病院は立派だ。周防大島には町立病院だけでも数軒ある。

バスはノンステップバスだが、病院への通院は病院の送迎バスを利用するため、路線バスの利用はほとんどないとのことである。

かつての国鉄大島連絡船の大島側の桟橋があった小松港。港跡には立派な町立病院が建って、遺構は何も残っていない。

再び大島大橋を渡って本州側へ戻る。

下車時にはバスカードを利用。周防大島をデザインした素敵なカードだった。

大畠駅下りホームで電車を待っていると、ホームから大島大橋が一望できた。

やってきた電車は115系標準塗装。全車転換シートを装備していた。

徳山で新幹線に乗り換える。

徳山からは「こだま」号に乗る。車両は700系ひかりレールスター用車両が使われていた。

レールスター時代の遺産で普通車自由席(7〜8号車)も2−2シートである。

8号車運転台寄りは4人個室となっているが、使用できない。

新下関で後続の「のぞみ」号の通過待ちがあった。

JR西日本のこの部分のデザインは秀逸だ。
大畠駅は女性社員の委託営業だった。駅前にはたくさんのタクシーが客待ちしていたが、バス利用の客はゼロに近い。周防大島最大の集落である久賀へ行くバスは、大島本線と呼ばれている。大畠駅が起点だが、一部は柳井まで行く便がある。今度のバスは柳井駅始発でやってきた。駅前バスロータリーで一周し、中ドアから乗車する。ガラガラである。乗車は2名のみ。左側最前列の席が空いていたので、当然のようにここに座る。
大島大橋は海岸線から高い所を渡っている。バスは取り付け道路を上って橋を渡り始めた。素晴らしい景観である。大畠瀬戸と呼ばれる海峡を、全長1020m、海面からの高さは31.2mで渡る。東側には歩道も併設されているため、歩いて渡ることも可能である。橋の上から山陽本線の列車を撮影すると素晴らしい構図となろう。
大島大橋は1976年7月4日に開通したが、それに伴ない国鉄大島連絡船は廃止となった。大畠駅と大島の小松港とを結んでいたが、島内の国鉄バスは離島唯一の例であった。橋は当初道路公団の有料橋だったが、山口県への移管後、償還が済んだ1996年から無料となった。
橋を渡り終えたところに東瀬戸バス停がある。駐車場が完備され、広島からの高速バスはここで降り返してゆく。周防大島へ入ったバスは島の東側の道を行く。左手は安芸灘が広がる。相変らず乗降ゼロで大畠駅から乗ったご婦人が降りると、乗客は私一人となってしまった。
周防久賀駅に着いた。バスは一つ先の八幡まで行くが、ここが大島最大の集落久賀の中心街である。近代的な駅舎があり、周防大島観光協会が入って観光案内のほか、バスの定期券などを扱っていた。
周防久賀駅には駐車場は設けられており、その一角に予約していた東和タクシーが止まっていた。バスから降りた私の姿を見つけると、直ぐにバス停に横付けしてくれた。これから島を半周する。
運転手さんに「橘病院まで」と告げる。同時に1時間余で回れる付近の観光もお願いした。最初こちらの意図が上手く伝わらなかったが、直ぐに理解して頂いた。
まずは、久賀の街並みを走る。商店街の通りは結構長く、パチンコや飲み屋などもたくさんある(あった)。そのほとんどがシャッターを閉めていた。運転手さんが「ここは何屋、その隣はナニ・・・」と教えてくれる。道路自体はカラー塗装されており、かつてかなり金をかけて作ったものと思われる。街並みを抜けると、石風呂(跡)を見学。石造りのサウナのようなものである。かつては島のあちこちにあったという。その向いに、「久賀歴史民俗資料館」の大きな敷地が広がる。大島ではかつて醤油つくりが盛んだった。その工場跡地に建てられたもので、民俗学者の宮本常一の指導で民具を集めて展示している。
久賀から東和へ向かう。ここには周防大島文化交流センター(宮本常一の資料を展示)と作詞家の星野哲郎記念館がある。どちらも外観を眺めただけだが、観光客はみんな星野記念館にいってしまうという。
東和町から安下庄(あげのしょう)へ向かう。安下庄湾に面した漁港で、まずは対岸の竜崎温泉を見学。立派な日帰り温泉施設で、多数の車が止まっていた。わざわざ県外からもやってくるらしい。狭い道をすり抜けて街の中心街に入る。国鉄バス安下庄駅の建物はもう使われていないようで、駅名標を外した跡だけが残っていた。かつて積み残しまで出していたというバスだが、いまでも島の東側と西側を経由する2系統で大畠駅とを結んでいる。
街の背後にある嵩山(だけさん)から海岸線に向けて飛ぶパラグライダーの名所もあった。海岸線にはそのための練習場まで置かれていた。農協や漁協、町役場の支所などを通過して町立橘病院に着いた。
こうしてタクシーによる周防大島見学が終わった。「魚の美味しい店はあるか」と聞いてみたら、「私は魚が苦手なものなので・・」とのこと。「みかんとひじき」が特産とか。みかんは生産過剰で耕作を放棄した山がたくさんあったが、いままた値段が高騰してきているそうだ。短時間だったが運転手さんの機転であちこち見学ができた。メーターは8800円だった。今度いつの日か周防大島に泊りがけで再訪したい。
橘病院の建物に入ると、土曜日は休診なので外来診療は照明が消えていた。トイレだけを拝借して建物の外で待っていると、大畠行きのバスが回送されてきた。ナンバーを控えていて気が付いた。先ほどのバスなのだ。どうやら久賀から回送されて来たらしい。
バスに乗り込みまたしても一番前の席に座れた。乗客は私一人なのだ。運転手に話しかけてみたが、話は弾まないので景色を堪能することにする。数年前四国の室戸岬を通過する高知東部バスの運転手はよくしゃべったのだが・・。漁協前から1人乗ってきた。
安下庄の集落を離れると海岸線に沿った道を走る。安芸灘から外海に変わり、取れる魚も違うのだという。やがて対岸に陸地が見えてきた。本州である。大きな煙突が見えるが、柳井の町であろう。バスは海岸沿いの道からいったん内陸へ入る。周防大島の町役場の本庁舎があるのだ。かつて4つの町が合併して周防大島町が誕生したが、町役場をどこに置くかは難題だったのではないか。バスは正面玄関まで入って行くが乗降なして通過した。
大島町役場を出ると、小松港で珍しく乗車客があった。ここは、かつて大島連絡船の桟橋があったところで、国鉄バスの駅舎や車庫も置かれていた。近年まで遺構が残っていたそうだが、すっかりと整備され、町立大島病院の近代的建物に替わった。
やがて大島大橋が目の前に現われ、東瀬戸から橋を渡る。周防大島とお別れである。大畠駅に着くと降車客は4名であった。防長バスではバスカードが発行されており、1000円で1100円分乗れる。降車時の運賃は1030円だったので、バスカードを購入したうえで支払った。残金は防長バスへのカンパにしておこう。1000円カードは周防大島の絵が描かれた優れたデザインだった。
大畠駅から福岡をめざす。徳山まで山陽本線をたどる。115系のJR西色がやってきた。4両編成とも転換クロスシートを装備していた。一番後ろの車両で座席を反転させてゆったりと乗車する。車掌は女性であった。
徳山から山陽新幹線に乗車。駅構内で駅弁がないか探したが、Kioskは全てコンビニ弁当ばかりで情緒がない。新幹線の車内販売もないだろうから、食べるのを我慢する。やってきた「こだま743」号はひかりレールスターで使われていた700系8連である。博多寄り3両は3−2シート、4〜8号車が2−2シートなので、当然2−2シートに座る。8号車にある4人個室は鎖錠されていて使えなかった。
車端部の座席だけにあるコンセントでスマートフォンの充電をしておく。もう電池切れなのだ。携帯時代と比べて、スマートフォンは半分以下の感がある。厚狭ではカラ待避で5分、新下関では「のぞみ31」号の通過待ちで5分止まった。小倉からは先行の「のぞみ」号が客を拾っていったためか、ほとんど乗車がなかった。
博多に着いた。やはり活気がある。九州新幹線は好調のようだ。博多に着いた「こだま743」号に乗ってくる人がいた。「こだま」号としては博多が終点だが、この列車は博多南線の列車に代わるのだ。
改札口で「無効印」を押してもらって出場。昼食を済ませていなかったので、行きつけの博多ラーメンの店に行く。相変らず美味しい。デイトスの土産物屋などを冷やかし、駅前のANAクラウンプラザホテル福岡に投宿した。ANA旅作ツアーはクーポン券がなく、口頭で告げるだけでいい。チェックインすると係員がお詫びがありますと部屋まで案内してくれた。何事か思ったら、同じ階に広島カープの野球選手が団体で泊まっており、そのお詫びとのこと。部屋の前には個人バッグが多数並んでいた。もうじき練習を終えて帰ってくるとのこと。
修学旅行生じゃないので別に騒いだりするわけでもなく問題はない。「マッサージ室」と書かれた2つの部屋への往復に、自室から短パン姿で往復する選手がいるので、気遣ってくれたらしい。ホテルの廊下は”公道”なのだろうが、こちらもスポーツ選手をホテルへ泊めたことがあるので、苦労は解る。廊下で「サインして」とお願いするわけにも行かないなあ。
夜は会議と懇親会へ出かけた。地元の方々と大いに盛り上がった(鉄道ネタでも)。
・大畠駅12:17(防長交通バス)→12:39周防久賀駅 *山口200 か・431
・周防久賀駅(東和タクシー)→町立橘病院
・町立橘病院前14:00(防長バス)→14:53大畠駅 *山口200 か・431
・大畠15:07(山陽本線3369M)→15:49徳山 *115系4連(クハ115-2645に乗車)
・徳山16:06(こだま743号)→17:21博多 *700系8連レールスター(724-7501に乗車)
*ANAクラウンプラザホテル福岡、泊

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