2日目は6時半から開いている15階の朝食会場へ出かけた。この日は3連休で満室、おまけに結婚式17組が入る大盛況だったので、もう一か所65階にもバイキング会場が設けられた。しかし、こちらは8時からなので間に合わず残念だった。
同行した家人は、クラブツーリズムの「香嵐渓日帰りツアー」に参加する。集合は8時10分、名古屋駅太閤口の地下街エスカである。未知の土地なので早めに出かけると、地下街の大部分はシャッターが閉まっており、そこを利用してツアーの集合場所に利用しているようだった。クラブツーリズム以外の会社と共同運用のようで、折畳の机を出して受付台が出ていた。地下街なので暑さ寒さを凌げる。
この日の香嵐渓ツアーはバス2台での催行だ。香嵐渓ではあさ6時の段階で1000台の駐車場が満車になり、付近の道路は大渋滞となったようだが、百戦錬磨のツアー会社のやることなので、上手く混雑をすり抜ける策があるのだろう。
全員が揃ったところで、添乗員さんの旗の下に地上に上がる。新幹線ホームの新大阪寄りの道路にツアーバスが縦列駐車しており、その中の1台、知多バスに乗り込んだ。バスの前面には名古屋駅前のツアーバスの乗車許可証が提示してある。新幹線太閤口では、朝6:45分から12:15分までの間、「
名古屋駅貸切バス乗車システム」に従って、ツアー業者は1,000円の負担金を支払ってバスバースを利用する。新宿西口で問題となっているようなツアーバスの駐車問題への対処の一つなのだろう。添乗員と運転手との間で簡単な打ち合わせを行ったあと、発車していった。バスガイドは乗務しておらず、ワンマン運行である。
バスの発車を見届けた後、私は近鉄名古屋駅へ取って返した。四日市から出ている内部線訪問のためである。因みに香嵐渓ツアーバスは混雑を上手くすり抜け、定刻より20分早く、18:10分に名古屋駅前まで戻ってきた。
・名古屋駅前8:30→恵那峡((渓谷/昼食)→小原(四季桜)→香嵐渓(紅葉)→18:10名古屋駅前 *名古屋200 か1383(知多バス)

ツアーは、名鉄系の知多バスだった。

名古屋駅貸切バス乗車システム利用証。初めて見た。
名古屋から近鉄に乗車するのは久しぶりだ。伊勢志摩を訪れた
2007年12月以来のことと思う。今日の行き先は四日市から出ている近鉄内部線、八王子線を訪問するためだ。
2004年2月に初めて乗ったが、ナローげージ特殊狭軌線として、数少ない762mm軌間を維持している鉄道である。しかし、近鉄では内部線と八王子線をバス化する計画を発表しており、廃線の危機を迎えている。三重県に点在するナローゲージは旧・三重交通の路線を引き継いだものだが、北勢線は三岐鉄道に譲渡、湯ノ山線は改軌のうえ本線と直通化されてきた。しかし、内部線と八王子線は近鉄が手放してBRS化されそうな雲行きである。
近鉄名古屋から準急松坂行きに乗車する。乗車券は四日市まで610円、内部線までは620円と通しで買ったほうが安いが、内部線応援の意味で1日フリーきっぷを買う予定なので四日市までとする。しかし、券売機ではなく特急券窓口の大きなインパツで発券してもらった。
ホームにはいると、急行・松坂行きが発車間際だった。前寄り4両は転換シート車、後部2両は通常のロングシート車で、最後部は改札口に近いとあってかなりの混雑だ。運よく座れたが、四日市まで30分とかからない。
地上に出るとJR関西本線と並走する。近鉄弥富はJR弥富より海側にあるのに、JR駅が「日本で一番低い駅」を名乗っているのは腑に落ちない。やがて濃尾3河川を長大鉄橋で次々に越える。JR線脇には近鉄の前身である関西急行電鉄が国鉄線の山側に出るために作った高架橋の廃墟が見える。鉄橋をかける資金がなかったので、国鉄から払い下げを受けた橋梁を利用するため、関急線はわざわざ鉄橋手前で国鉄線の山側に乗り越えていた。
四日市に着いた。内部線にはいったん改札を出る必要がある。大阪方の幹線道路を越えた先に内部線のホームはある。まるで別駅のようだ。ここで「開業100周年記念/内部・八王子線1日フリー乗車券」(440円)を購入した。行って帰ってくるだけで元が取れる。八王子線は伊勢八王子まで通じていた時代の線名がそのまま残っているが、西日野から先は水害のため復旧せず、1976年に廃止された。両線は日永で分岐している。昼間はそれぞれが30分間隔で運行されているので、四日市〜日永間は1時間に4本運行という頻発運転である。最初に内部行きが来たので、四日市→内部→日永→西日野→四日市と乗車することにした。
それにしても沿線は都市化が進み、住宅街の中をナローは走る。赤字ローカル線のイメージとはかけ離れているが、住民はマイカー生活で公共交通機関を使う習慣がなくなってしまったのが主原因だろう。
電車は全て3両編成で、四日市方が電動車のMc車。これにT+Tc車がつながる。かつては終点ごとに電動車を切り離して先頭に付替える機関車方式の運転をしていたが、北勢線ともども機回しの必要がないよう固定編成化されている。電動車は近代化の過程で新製された車両だが、中間車は年代モノでバス窓、窓の保護棒などクラシックな外観をしている。
保安方式は大近鉄そのもので、ATS、無線での列車指令も完備している。無人駅が多々あるが、近鉄の他線区同様、運転士は運賃収受になるべくかかわらないようになっている。無人駅で下車した際には駅のボックスにきっぷを入れ、現金客のみが自己申告で運転台後部に備え付けてある運賃箱を利用する。運賃の取りこぼしにはある程度目をつぶる合理化方式のようだ。
終点の内部に着いた。2004年にも来ているが、駅前に大きな病院が出来ていた。しかし、通院に電車はあまり利用されていないようである。病院前には介護保険で運用されている通院の送迎車が止まっていた。終端部で保線係員がなにやら作業をしていた。どうやら架線の錆び落としのようで、ホームを外れた終端までパンタグラフの付いた車両が進入することはないので、錆びてしまっているのだ。
1段落としで折り返す。泊では右側通行で交換したが、同時進入は出来ないらしく、こちらの電車がホームに進入するまで対向電車は場外で停止していた。当然のことながら脱線ポイントである。日永で下車して八王子線に乗り換える。駅の構内は三角形をしていて、まるで模型のレイアウトでも見るような構内配線であった。
日永から乗車した西日野行きにはフリーきっぷを持った鉄道ファンがたくさん乗っていた。1駅で西日野である。電車は棒線行き止まりホームで折り返す。かつては伊勢八王子まで通じていたが水害で復旧することなく廃線となってしまった。
西日野から四日市まで折り返す。日永ではベビーカーの乗客が待っていたが、構内踏切の遮断機が降りてしまっている。運転士は遮断機を手動で開け、階段は介助して車内に招き入れていた。
四日市の街中を走ると終点の四日市駅である。近鉄名古屋線の高架下にホームがある。沿線環境は廃線とは無縁に思えるが、全国でも珍しい特殊狭軌線。なんとか存続できる途はないものだろうか。
・近鉄名古屋8:41(急行松坂行き)→9:08四日市 *1923他6連
・四日市9:23(内部行き)→9:39内部 *ク115+サ124+モ263(115に乗車)
・内部10:05(四日市行き)→10:16日永 *モ264+サ123+ク161(264に乗車)
・日永10:20(西日野行き)→10:23西日野 *ク161+サ121+モ261(161に乗車)
・西日野10:30(四日市行き)→10:39四日市 *モ261+サ121+ク161(261に乗車)

四日市で下車。コンコースには内部線の案内があるが、いったん改札口を出なければならない。

内部八王子線が開業して今年で100年。記念のフリーきっぷで乗車した。

内部線ク115号車の車内。ガラガラだ。

中間車のサ124には、バス窓が残っていた。

終点の内部に着いた。終点で電動車を付替えていた時代の機回し線が残っていた。

終端部の架線の錆落としを保線区員がやっていた。

こうやって見るとナローゲージが実感として解る。

木造の内部駅舎と内部車庫。

この長ったらしい組織名の看板が面白い。

モ264号車の乗務員室。近畿車輛製の新造車だ。

運転台は近代的だ。

連結器。

内部線と八王子線が分岐する日永駅の三角ホーム。

乗ってきた四日市行き電車。右側が西日野へ向かう八王子線。

もう一つの終端駅、西日野駅。ATS地上子はレールの外側にある。

棒線駅の西日野駅舎。

サ121のバス窓と保護棒。

サ120型の型式票。チャンと近鉄のマークが入っている。

西日野から四日市へ戻る。途中の日永で内部行きと離合した。

終点の四日市へ戻ってきた。ホームは湯の山線ホームの高架下にある。

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