久々に千葉管内にC57が走った。本来D51を使って運転予定だった「SL春さきどり」号(2/13〜15、木更津−千葉みなと間)は、陸羽東線で空焚き事故を起こしてボイラーがやられたため、急遽C57を使って運行されることになった。千葉局管内にC57が走るのは37年ぶりのことだそうだ。37年ぶりということは前回は1972年ということになる。そのときの運行がどうだったのか思い出してみた。
千葉管内の蒸気機関車の終焉は1969年である。その3年後の1972年9月30日と10月1日の両日、「なつかしのSL列車」と銘打って、蒸気機関車牽引の記念列車が運行された。運転区間は、千葉9:01(総武本線経由)⇒11:20銚子13:40(成田線経由)16:39千葉であった。機関車は新津機関区所属のC571号機を使用した。C571はこのあと梅小路の蒸気機関車館に動態保存され、さらに、山口線の「SLやまぐち」号として現在まで現役運行が続いている。
私は1972年9月30日にC571が牽引する「なつかしのSL列車」に乗車した。千葉鉄道管理局と千葉そごうの共催事業で、そごうの旅行サロンに並んでチケットを手に入れた。SL運行終焉からまだ3年しか経っていなかったので、佐倉機関区で運行前の整備が行なわれた。ボイラー免許を持った現役の蒸気機関車の機関士、機関助士も健在だった。列車は当然のことながら旧型客車オハフ33、オハ35で(ブルー塗装車)、当初7両編成で運転予定が、希望者が多かったので1両増車された。記念列車は佐倉機関区から西千葉にあった千葉気動車区(千チハ)まで回送され、機関車だけ切り離されて稲毛寄りにあったターンテーブルで方向転換された。再び客車と連結され、千葉気動車区から千葉駅7番線へと回送された(当時は9〜10番線はまだない)。ホームでの記念行事が終わると、長笛一声!、銚子へ向けて発車した。大変な人出だったが、公安職員の規制などはまだほとんどない長閑な時代で、駅や線路内に鉄道ファンというより、近所の子供たちが大勢入り込んでも何も言われなかった。それでも、銚子までの往復で5回も非常ブレーキがかかる有様で、以後はこの種のイベントに国鉄は慎重になった。また、佐倉から先はまだタブレット閉塞と腕木式信号が使われており、各駅ごとにタブレットの交換を行いながらの運行だった。4人ボックス席ではおじいチャンに連れられた小学生くらいのお孫さんと相席になった。あの子も40代になったハズだ。
私としては初めての銚子訪問だった。SLファンというより電車ファンだったので、銚子機関支区でのSL撮影会より、お隣りを走る銚子電鉄を興味深くながめていた。帰路は成田線経由であった。滑川だったと思うが、対向列車との交換でしばらく停車。みんなぞろぞろ降りて、機関車の周りはにわかカメラマンでいっぱいになった。旧型客車なので乗降はフリー!?だった。いまなら考えられない。千葉到着後は再び千葉気動車区へ回送され、そこで機回しが行われて佐倉へ回送された。
自宅が千葉気動車区に近かったので、2日目は気動車区内と千葉駅発車シーンの撮影をした。地元の子供たちで気動車区の中は壮大なプレーランドと化した。よくぞ運行に支障が出なかったものと思う。
当時撮影した写真があるのだが、ネガからデジタル化する機器を持ち合わせていない。乱暴なやり方だが、写真を携帯で撮ったものでご勘弁いただきたい。

銚子機関支区で行われたC571撮影会。

途中駅で交換のため停車。みんなぞろぞろ降りてきた。

運転を終えた列車は千葉から千葉気動車区まで回送された。

C571は気動車区内の転車台で方向転換して佐倉までの回送列車を牽引した。所属標は<佐>へ取り替えられていた。

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