富山ライトレールに発展的解消を遂げるJR富山港線が昨日(2月28日)限りで廃止された。廃止直前の模様があちこちのブログ掲載され、懐かしい思い出にひたっている。私が国鉄富山港線に乗車したのは、1979年(昭和56年)3月31日。今から思えば奇跡のような高山本線に残っていた夜行DC急行「のりくら9号」で名古屋から北陸入りした。福井と富山の鉄道各線に乗車し録音も採っている。富山港線では車内アナウンスがなく、今聞いてもよく解からない音である。岩瀬浜まで1往復したが余り印象のある路線ではなかった。電車は475系だったように記憶している。しかし、交流電化区間の中にポツンと直流区間が残っていたことに興味が沸いた。富山駅構内には交直デッドセクションが2ヶ所あったのだ(地鉄と富山港線)。
それに比べ、富山地方鉄道の市内線は魅力溢れていた。市内線と射水線との直通運転が復活したばかりの頃で、直通運転の5000形には車掌が乗務していた。車内券は射水線と市内線とがペアーになっており、車掌がパンチを入れて発券していた。他方、ワンマンの市内線電車では『射水線のりつぎ券』が発行されていた。市内線から射水線へ乗り継ぐと終点の新港東口は有人駅で、オバサンが切符を売っていた。新港東口から無料の県営渡船で越ノ潟へ渡ると、そこには加越能鉄道高岡軌道線(現・万葉線)の電車が待っていた。軌道線がまだまだ元気な時代であった。
今回の富山ライトレールでは、将来富山地鉄市内線への直通運転が計画されている。かつてのように市内線と郊外線とが有機的に結びつき、路面電車復権の狼煙を富山からあげて貰いたいと願っている。

右から、北陸本線車掌発行の岩瀬浜から呉羽「区間変更券」。左上から、岩瀬浜駅入場券(硬券)、地鉄電車車内券+市内線乗車券、射水線のりつぎ券。

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