きょうは新京成電鉄元山駅まで往復してきた。京成津田沼発8:22分の松戸行きに乗車。新京成ホームへ降りると、8800系だった。停止直前まで回生ブレーキが作動し、モーターが小気味いい音を立てて電気を架線に戻している。1963年頃新京成二和向台に住んでいた頃とは様変わりの沿線風景である。くぬぎ山車庫を見て、元山に着いた。
帰りは途中下車しながら帰る。運転台後部にたって前面展望しながら、まずは二和向台まで乗車。雑木林の中に農家が点在していた北総台地の中を単線の線路を京成からお下がりの中古車で運行していた時代がウソのよう。しっかりとした路盤をすべるように走行する。
二和向台駅周辺は道路配置こそ昔の面影があるが、町並みはすっかり変わっていた。たった1軒だけだった何でもや屋さんと思しき店は残っていたが、周辺はショッピング街としてたいそうな賑わいである。旧宅はコンクリート5階建てに建て替わっていた。駅前の小学校も校舎の配置が違うが、桜並木はそのままだった。ワンボックス型といわれた半間ほどの木造駅舎に駅員一人が昼間だけ勤務していた駅は、自動改札機を備えた駅に建て替わっている。駅員さんと遊んでいた頃は、48分間隔のダイヤだった。単行運転もわずかながら残っていた。駅員になり代わって集札していたが、これぞまさしく本物の「電車ごっこ」であった。が、いまではデイタイム10分間隔で8両編成の運転である。
次の下車駅は高根公団。買い物は、新京成に乗って出来たばかりの高根台団地のショッピング街までやってきていた。京成ストアは、リブレ京成と名前を変え、平屋建てから屋上に駐車場を持つビルに建て換わっていた。個人商店のあった商店街はなくなっており、こちらはテナントビルになっていた。
高根公団から京成津田沼までは8000系6連に乗車。北習志野で東葉高速鉄道の乗換案内が流れた。都心へは総武線ルートより、こちらの方が速いだろう。イオン津田沼になっている京成電鉄第2車両工場跡を過ぎ、線路を軋ませながら走っていた大S字カーブ区間も、弾性車輪ですんなりと走る。京成津田沼で京成線に乗り換えた。もうじき、新京成と京成千葉線との相互直通運転が始まる。
戦利品は、「鉄道の日記念」と「新京成全線開通50周年記念」のパスネットカード。多くの駅で売り切れていたものが、元山駅には残っていた。「初富・開運パスネット」と「新京成60周年2006年カレンダー」は、ホーム売店で求めた。カレンダーには懐かしい沿線風景と車両がデザインされ、とても気に入っている。
<新京成電鉄のHP>
http://www.shinkeisei.co.jp/

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