このたびの東日本巨大地震で被害にあわれた皆様にお見舞い申し上げます。
3月11日そのとき。
ちょうどシャワーを浴びていて(浴びているときに揺れを感じました)リビングに戻ったとたん、テレビから聞こえてくるアナウンサーの声に
「うそでしょ〜!」
宮城県で震度7の大地震。実家のある仙台は震度6弱の揺れ。
家に電話をしても繋がらなくなっていました。
各地の地震発生時の映像が次々と映し出され、十数年前のあの大地震の恐ろしさがよみがえりました。
そして津波。
あっというまに街を飲み込んで、また海へと引いていく様子に言葉もありませんでした。
テレビでは市内のことは全然解らずじまいだったので、不安ばかりが募っていましたが、
なんとかネット上で市内の状況の様子を知ることができ、沿岸部に比べたら被害は少ないとのことでホッとしましたが、2日目も電話は繋がらず。
時間が経つにつれて状況が明らかになってくると言葉を失ってしまいます。
子供の頃に訪れた場所が跡形も無く消え去ってしまっている、ましてやその土地で生まれ育った人たちの生活や思い出や、大切な人たちさえ奪い去ってしまった津波。
もっと辛いのは、どうすることもできずにただ見つめるしかない人々の姿。
実家とやっと連絡が取れたのは3日目の夕方。
母の声を聞いたとたん、涙が出ました。
り「ママ、大丈夫なの?」
母「あら、わざわざ電話してくれたの?」
り「当たり前でしょ〜!だって、テレビで市内のことは全然やってくれないし!」
母「こっちは大丈夫ですよ、でも、うちも古いから今度大きな地震が来たらダメかもしれないけどね(笑)」
とりあえず無事でいてくれてよかったです。
とはいえ、被害にあわれたかたがたのことを思うとおおっぴらには喜べません。
ここから1000キロ離れた場所でタイヘンなことになっているけど、週末の繁華街は相変わらず人で溢れかえっている事実。
あの大地震のときと同じ違和感が私の中で湧き上がりました。が、だからといって今すぐどうすることもできないのもまた事実。
先週末から気持ちが揺れていた日々ですが
今の自分にできることは何かを考え、一日も早い復興をただただ祈るばかりです。
そして昨日、お客様からメール。
「出張先で被災、避難生活を余儀なくされましたが山形から新潟経由で関西に戻るけど人が一杯でいつになることやら・・。」
ご無事でなによりです。
たくさんのかたからご心配のメールをいただきました。
この場を借りてお礼申し上げます。