能登半島地震、予想もしていないような所でおきましたね。
せめてもの救いが厳冬期でなかったことです。もし大雪が降っていたら・寒波が来ていたら、自体は一層、深刻でした。
形式的はお見舞文は省かせて頂き、震災直後の対応に思う事を書きたいと思います。
以前に関東大震災と阪神淡路地震の両方を経験された方の手記を読んだ事があります。
内容を簡単に書きますと、関東大震災直後、人々は協力して何とかしようという動きが見られたが、阪神淡路地震の場合は行政担当者に「何とかしろ!」と詰め寄る人々が多く驚愕した、というような内容でした。
行政も被災しており行政担当者も被災者なのですからたまったものではありませんね。
この度の能登半島地震と中越地震のときも見られた、行政の力を借りずお隣・ご近所さんが集まり、潰れなかったビニールハウスの中で炊事をしていたりする光景です。
インタビューワー問いに、
「家は倒れたが命だけは大丈夫だつた。怪我もない。」
「食料は常備していたものでしばらく何とかなります。」
答えていらっしゃった方は中年の男性でしたが、今後の事を考えれば問題は山積みで寝られない程の心中と察しますが、その映像からは不安や苛立ちではなく生命体としての輝きが感じられました。
中越地震の前後に起こったアメリカのハリケーンの被災地には違う光景がありました。
災害を辛くも免れた自宅のデッキでのんびりと日光浴をしていた男性が報道クルーとカメラを見つけるやいなや駆け寄り、
「国は!州は、何をしているんだ!」
その表情には苛立ちと憎悪の表情がありありと浮かんでいました。
国内で台風被害後のインタビューにも似たことが見受けられます。
りんご農家で風の被害により1年間ただ働きとなった農家の男性は、
「お天とうさんに文句を言ってはバチが当たる、来年もありますから。」
都内のサラリーマン風の男性は、
「電車が1時間5分遅れた。誰か補償してくれなくては困る!」
被災後のポイントはお隣・ご近所の最小単位のコミュニティですし、心の持ち様だと思います。
ここ軽井沢でも、隣人の姿を見る事に嫌悪感の持つ程にプライベートを尊重される人々もいらっしゃいます。
私もどちらかというと社交的でありませんのでよく考えなければいけないのですが、いざという時はこの山奥では行政サービスは何も期待できない訳で、自然環境も地球環境も人生も晴れの日ばかり続くわけではありません。
とかく自分が調子の良いときには廻りは鬱陶しいもので我がままに成り勝ちですが、日頃からの地域のお付き合いは大切だと思う被災後の映像でした。