霧島温泉いわさきホテルには、近代的温泉保養地の先駆けとして高名な昭和初期の企業家(1929)林田熊一によって開かれた「林田温泉」という有名な湯がある。
広大な敷地に豊富な湯量を誇る温泉、キビキビと動く親切なスタッフ、サービス的には何ら申し分がない。しかし、私にはどうしてもなじめなかった。
バブル期の遺産を思わせる無機質なコンクリート建築は、都会の日帰り温泉施設のように思えてしまうし、施設の外観は、(開業当時は、おそらくは宴会客や団体客などの大勢の顧客ターゲットにしたのであろう。)周囲の豊富な緑や山々などの自然の中にに溶け込んでいない。表現は悪いが、せっかく、有名な霧島くんだりまでやって来たのに・・・、都会の中の動物園にいるような気がするのである。
スタッフは「ここの湯はこのあたりで最高の泉質」と誇りをお持ちであっただけに、何故もう少し資源うまく活かせないのか?情けない思いが拭いきれない。
このホテルは、初代林田氏以来から様々な要因により経営主体が変遷していると聞く。さらに、あくまでも私の耳に入った噂の領域に過ぎないが、現在ではお隣りの国からの資本圧力も受けているともいう。
サービス業はお客様あってこそのモノ種である。経営陣が替わったとき、施設資本を活かしつつターゲットを明確にした市場調査は行ったのだろうか?もしかしたら、国内の団体客はもはや望めぬ存在なので主体は外国からの団体客とし、国内の客は当てにしないとでもしてしまったのではなかろうか?一所懸命に働いている若く有能なスタッフに、経営陣はやる気を起こさせる努力を常に提供しているのだろうか?勝手な推測が膨らむ。
ホテルの裏側隣接地には、観光地にはそぐわず、ゴミが散乱し、蔦がからみあって、いまや廃墟と化した多くのコンクリート建物が野ざらしにされて残っていた。ホテルとは無関係の施設跡であると信じたいが、建設と破壊という企業の興廃に潜む悲しさと侘びしさのようなものに思いを馳せてしまう。
もちろん、人によって受け止め方は様々であり、こうした思いは私だけのものだろう。下らぬ詮索であると言われてしまえば、そうかもしれない。しかし、何か、心に引っ掛かるものが残ってしまうのである。





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