インターネット・オークションというのはとても便利で有益なものだ、というのは皆さん既に御承知だろう。インターネットなんて無かった頃には、例えば稀覯本、廃盤レコード、アンティーク人形、クラシック・カーなどの趣味的な品物というのは、例えお目当てのブツがはっきりしていたとしても、それを探し当てる為に方々のそういった趣味的な品物を扱う商店へいちいち来店して問い合わせたり、電話をかけて在庫の有無を確かめたり、全国津々浦々を回って結局何処にも無かった、なんて事はよくあった。
しかし今ではキーワードを入力して検索ボタンを押すだけで、わざわざ来店して確かめるまでもなく大抵のものは部屋に居ながらにして買うことが出来る。どんなにレアな品物でも、世界の何処かには持ってる奴が居て、またそれを売りに出している奴も少なからず居るのである。
で、去年の冬、僕はそのオークションに参加していた。無いものは無い、のではないかと思わせるほどの品揃えを誇るインターネット・オークションにあっても、それは滅多に出品される事のないブツであった。それが何であったか、というのはあえてここでは伏すが、仮に絶版漫画本「鰓小僧」という事にでもしておこうか。「鰓小僧」自体は95年に発売されたもので、それほど古い本では無いし、限定出版というわけでもないのに、流通経路が一般書店売りでは無かったためか数が少なく、全国のマニアの中でも、更にディープな無名漫画を集めているようなコレクターが血眼になって探している、希少性の高いものだったのである。
最初は3000円とかだった値段が、終了一日前になって途端に跳ね上がった。入札者も最初は5、6人くらいで競っていたのに、10000円を超えたあたりで次から次へと脱落者が出始めて、20000円を超えたところで入札者は二人になった。そして、その二人のうちの一人は僕だった。
いわゆる一騎討ちってやつだが、そうなると競争相手の素性が気になるのが人の性である。ちらりとディスプレイを睨んで見える相手のID、仮にハンニャチャンとでもしておこうか、それにどうも見覚えがある。そうだ、それより更に一年ほど前、やはり同じ「鰓小僧」が出品されて、やっぱりその時も僕は入札していたのだが、その時は僕とハンニャチャン、とあともう一人別の奴とで競りあっていて、結局そのもう一人が50000円という市場価格を大幅に上回ったとんでもない値段をつけたもんだから、経済観念を持った常識的コレクターである僕もハンニャチャンもそれ以上太刀打ち出来ず、すごすごと敗北したのであった。
そうか、あの時のハンニャチャンか、これも何かの縁、最後まで正々堂々と勝負しよう、と、僕はスポーツ漫画の主人公のように清々しい気分になり、そして負けた。だってハンニャチャンったら、一年前のリヴェンジとばかりに、終了10分前になっていきなり50000円の値段をつけやがるんだもの。僕は思いっきり金に糸目をつける性質なので、たかが漫画本に50000円は出せないのである。
競りに負けた悔しい気持ちで、せめて勝利者であるハンニャチャンの趣味嗜好でも覗いてやろう、と思いたち、過去の落札記録を覗きみて驚いた。そこには絶版漫画界ではレア−と知られているタイトルがずらりと並んでいて、そのどれもが古書店に並ぶ際の市場価格を上回る値段で落札されていた。50000円なんて屁みたいなもんだった。あれから一年の間に、ハンニャチャンは金に糸目をつけぬ一大コレクターに変貌していたのである。
と、ここまでが去年の冬の話。それ以降「鰓小僧」がオークションに出品される事は無く、僕は「鰓小僧」をこの手にする日を夢みながらも、淡々と日常をやり過ごしていた。
そして初夏のある日、僕はインターネットに接続していて、また別のディープ・ワールドを知ってしまった。インターネット上におけるマニア/コレクターたちの地下世界、そこにはトレードと呼ばれる取引きがあった。要するに金銭による取引きでは無く、お互いの手持ちのコレクションをリスト形式にして先方に提示し、そのリストの中から等価値と考えるものをお互いに選びだして、それを交換してお互いの利益にしようという取引き方法である。
僕は新世界の発見に胸高鳴り、当然「鰓小僧」を譲ってくれる相手を求めて、何人かのコレクターが運営するトレード・サイトを巡ってはメールを送りつけ、自分がトレードに出せる絶版漫画本のリストをつくり、「鰓小僧」との交換を求めた。5人にメールを送り、4人からは僕の提示した貧弱なコレクションでは「鰓小僧」との交換は叶わぬ、と断りのメールが返ってきた。
そして一人から、トレードを承諾したという旨のメールが返信された。同じ作者の別の著書三冊、これも中々に珍しいものなのだが、それと「鰓小僧」一冊の交換という条件である。必死で集めた三冊だったが、「鰓小僧」を手にする歓びにはかえられない。僕は丁重なお礼と具体的な取引き内容の詳細を打ち合わせる為のメールを返信し、トレードは成立した。ついに「鰓小僧」が僕の手元へやって来る日が来たのだ。
取引きが成立し、ようやく僕の昂奮もおさまり、落ち着いて取引き相手のメール・アカウントを見て驚いた。曰く、hannnyatyann@…
なんと僕のトレード相手は、オークションに於いてはあの憎きライバルだったハンニャチャンだったのである。しかもメールに書いてあった住所によると、僕の家から歩いて10分くらいのすっげぇ近く。
何だか得したのか損したのかもよくわからず、ここへ来るまで随分まわり道をしてたような複雑な気分で。