2009/7/29 | 投稿者: losthouse

 平成仮面ライダー10周年記念映画「劇場版仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー」の完成披露イベントが28日、東京都内であり、大杉漣さん(57)ふんする地獄大使と、石橋蓮司さん(67)ふんする死神博士が悪の軍団「大ショッカー」を引き連れて登場。大ショッカー党の“結党”し、党首の地獄大使が選挙カーの上から、「我々が世界を征服すれば“イーッ”国になる。野望は世界征服と穏やかな老後!」と“公約”を訴えた。

 応援演説を行った死神博士は「私が立候補するつもりだったんだが、彼がどうしてもと言うので(譲った)」と話した。また死神博士が地獄大使の名前を忘れる場面もあり、理由を問われると「しばらく会ってなかったんで……。お互い年もとったし」とコメントしていた。また地獄大使は「初めての選挙演説でした。あれごときの演説でのどを枯らしてしまった」と苦笑いしていた。(毎日.jp)



もう石橋蓮司が総理大臣でいいよ。

2009/7/26 | 投稿者: losthouse

ついに来た。

藤子・F・不二雄大全集、第1回配本3タイトルが到着する。
http://www.shogakukan.co.jp/fzenshu/

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とりあえず、待望の「オバケのQ太郎」から耽読。
虫コミックス版も藤子不二雄ランド版も持っていない、てんとう虫コミックス世代の僕としては、収録されている殆どが未読の作品ばかりで、感動に打ち震える。こんなに沢山、初期のオバQが読めるだけでも、ああ買ってよかった、と思う。

「ドラえもん」も初期の傑作揃い。何よりも、新編集スタイル「学年繰り上がり方式」に感激する。
これはちょっとネタバレだけど、「ドラえもんだらけ」の次に「のろのろ、じたばた」を読まないと、理解し難い関連が実は有ったのだ、という発見が重要。

現行のてんとう虫コミックス版では改竄されているという台詞も、一部を残して復元されている。
「タケコプター」じゃなくてちゃんと「ヘリトンボ」だし、「ドラえもんだらけ」の「ついにおこった」は、オリジナルの「ついにくるった」に戻っている。
(でも「古道具競争」のママの台詞は、「くるっちゃった」じゃなくて「おかしくなっちゃった」のままだった)

「パーマン」は、スーパーマンの設定が復活しているのはうれしいけれど(というよりも当然か)、こちらは台詞の変更にとても違和感を感じてしまう。
やっぱり「脳細胞破壊銃でクルクルパー」にされる位の恐怖が無いと、自分がパーマンだって言いふらしてしまいそう。「細胞変換銃で動物に変身させる」って、なんか楽しそうだもんな。
たぶん子供の頃に読んだときに本気で恐れおののいた台詞なので、違和感が増幅されているのだ。

3タイトルともに明記されている編集方針を読むと、「作者の意図ではない要因で改変が行われていたと考えられる場合には、原則として可能な限り本来の姿にもどすように努めました」とあって、「原則として」とか「可能な限り」とか、なんとも曖昧な文言ではあるのだけれど、つまり藤子・F・不二雄が生前自らの意志で筆を執って改変した部分については元に戻さない、ってルールがあるのかな?
でも、一体どの改変が「作者の意図」で、外部からの要請で為されたもので無いのかなんて、果たしてわかるんだろうか?なんとも微妙な問題というか、歯痒い気分ではあるけれど、そうは言ってもこのような大スケールの全集を編もうとしている小学館はやっぱりエラいし、たぶん現代日本においてはこれが出来得る限り最良の形式なんだろうな、とも思う。

さて、もう一回「オバQ」読もうっと。

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2009/7/21 | 投稿者: losthouse

水木しげる(初刊本は東真一郎名義)著「怪獣ラバン」を購入。

1958年、水木しげるが漫画家としてデビューしたその年に書かれた、初期作品の完全復刻版。

たしか、ずいぶん前に神田の中野書店が限定版で復刻したことがあったと思うけど、こんなふうに一般書店に流通する単行本として復刻されるのは初めての筈。
小学館クリエイティブの快挙はまだまだ続くのである。

中身は、言うまでもないことだけど大傑作。

後に「墓場鬼太郎」シリーズの一編「ないしょの話」としてリライトされ、さらにその後「墓場の鬼太郎・大海獣」において結実する変身譚の原型であるが、原型でありながらも、リライト作において展開するほぼ全てのモチーフが、すでに出揃っているところが何とも興味深い。

しかし、原住民の毒矢によってミイラ化する主人公の作画や、更に怪獣へと変形する際の恐怖描写は、リライトされたものとは段違いの恐ろしさで、凡庸な言い方をすると、「ペン先にこめられた気迫が違う」てな感じなのである。読むべし。

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2009/7/17 | 投稿者: losthouse

RCサクセションに「トランジスタ・ラジオ」といううたがあって、何度も繰返される「君の知らないメロディ、聞いたことのないヒット曲」というフレーズは大変有名なものなので、特にRCサクセションのファン、というわけで無くても大抵のひとはそれを知っていて、今日僕はとある若者と話をしていたら、「やっぱりあの、聞いたことのないヒット曲、ってフレーズ、あそこは天才的ですよね、だってヒット曲なのに聞いたことがないって、そんなの有り得ないでしょ?その逆説が発想として天才的」というようなことを彼が言うので、「いやいや、確かに素晴らしいフレーズだけどさ、聞いたことのないヒット曲、ってゆーのはほら、リバプールのヒット曲とかだからさ、当時の日本の高校生はそんなのふつう知らなかったんだよ。だってほら、僕らもタイのヒット曲とかルーマニアのヒット曲とか聞いたことないでしょ?」って言ったら、「はぁ。そうなんすか?でも、タイで流行ってる曲をふつうヒット曲とは言わないですよね?」と、若者から怪訝そうな面持ちで返された。

このようにして、グローバリゼーションは若者の心を蝕んで行く。


2009/7/11 | 投稿者: losthouse

レナード・コーエンのあたらしいDVD、「ライブ・イン・ロンドン」を観る。

2008年、15年ぶりに行われたワールド・ツアーの、ロンドン公演を全編収録。
日本盤を買ったら、字幕で歌詞の和訳が流れる仕様になっていた。
レナード・コーエンの場合、やっぱり何をうたってるのか解らなければ魅力が半減すると思うので、歌詞を読みながらじっくり聴けるのが嬉しい。

演奏はと言うと、これがとっても素晴らしいライブで、観終わって実に清々しい気分になる。
愛や世界の終末をうたった暗くて辛気くさいうたばかりなのに、清々しいも無いもんだが、これが本当に清々しくなるのだから仕方が無い。

御年74歳、痩せて髪も真っ白になったレナード・コーエンはすっかりお爺ちゃんだが、格好良いピン・ストライプのスーツを着こなし、中折れ帽をかぶって昔と変わらぬダンディぶり。
勿論あの歌声も健在で、ただひとつ昔のライブ映像とちがうのは、何だか異様に楽しそうなのである。

途中のMCで、「抗鬱剤を飲み過ぎて、哲学や神学を学び過ぎて、陽気になって仕方が無い」と冗談めかして言う場面が有るのだけれど、本当にちょこちょこ走り回ったり、飛び跳ねておどけてみせたりして、目一杯演奏を楽しんでいるようにみえるレナード・コーエンと、それを迎える観客の暖かい雰囲気が、DVDを観ている僕にも伝わって、実に清々しい気分になったのだった。

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ところで、このライブを収録している会場というのが、2万人クラスの巨大アリーナ・ホールであるところがちょっと驚きだった。
日本では絶対に有り得ない。例えるなら、森田童子が横浜アリーナで演るようなもんか。全然違うか。

やっぱりヨーロッパは違うなぁ、と、俗っぽい感心をした。

2009/7/6 | 投稿者: losthouse

新宿ミラノ座。

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」2度目の鑑賞。

1度目は興奮しながら観ていたので、今回は冷静に分析しよう、と思っていたのだけれども、上映が始まるとやっぱり直ぐにどきどきわくわくしてしまって、全然冷静になんて観ていられなかった。

むしろ2回観ることで、これは日本アニメ映画史上に残るマスター・ピースであると確信してしまったりして、すっかり興奮している。

飛び跳ね、走り回るエヴァンゲリオン。敵役である「使徒」のダイナミックなデザインとその動き。
テレビ・シリーズでは登場人物たちの内面描写に拘泥するあまりに、中盤からすっかり失われていた「アニメーションの愉しみ」が、今回の新劇場版では存分に味わえる。

それは例えば、後発のアニメーションに絶大な影響を与えたであろう、宮崎駿「ルパン三世 カリオストロの城」のアクション・シークエンスに匹敵するレベルなんじゃないか、なんて言うのは褒め過ぎだろうか。

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というわけで、すっかり「超一流のエンターテインメント」に変貌したエヴァンゲリオンではあるけれど、テレビ・シリーズや旧劇場版にあった「あのエヴァンゲリオン」らしさが無くなったのか、というとそうでも無くて、興味深いことに、新劇場版における物語は、「すでに語られた物語をもう一度語り直す」ことを前提につくられた物語なんである。

例えば(以下ネタバレ一部伏せ字)×号機に×××では無く×××が乗るくだりや、綾波の「私が死んでも代わりは居るもの」に対する×××の回答なんかは、すでに一度違うかたちで語られた物語があることを、観客が知っていてこそ効果的な場面なのである。
そんなところが矢張り構造としてねじれていて、ああ、エヴァンゲリオンらしいな、と思って僕は安心するのだ。

***

市川崑の遺作となった2006年版の「犬神家の一族」を観ていて、一番面白かったのは初老の金田一耕助を演じる石坂浩二の演技で、それはまるで、『一応「しまったぁ」とか驚いてみせているけど、ほんとは次に誰が殺されるのかも知っていて、誰が犯人だかも知っているんだよ。何故なら僕はすでにむかし一度この事件を手がけているから』と言っているように僕には思えた。

もちろん実際2006年版の「犬神家」に、「語り直されていること」を示唆する台詞も場面も無いし、まさか市川崑と石坂浩二が、観客にそんな妄想を抱かせようと意図したのでは無い、と思う。

でも「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」を観ていて、僕はあのときの金田一耕助に感じた、違和感と驚きを思い出していた。
たぶん石坂浩二とヱヴァンゲリヲンに共通しているものが有るとすれば、それは「終わった物語をもう一度やり直すこと」に対する冷徹な批評眼と、シニシズムである。


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