2007/10/30 | 投稿者: losthouse

劇場版シンプソンズ吹き替え問題も、テレビ版キャストによるDVD製作、って落としどころに無事着地したようです。

ソース:本家マージ役、一城みゆ希のブログ

良かった良かった。DVDで観よう。

だけど、恐いものみたさで和田アキ子版マージもちょっと見てみたい、って人はこの予告編をどうぞ。↓



おまけ。米国版オリジナル・キャストの二人がコナン・オブライエン・ショウに出た時の動画が、ニコニコ動画に有ったので貼っとく。↓

凄まじく芸達者な人たちで、何役も声色を使い分ける様は驚異的。ホーマーとクラスティとウィリーの声って同じひとだったんだ。所ジョージには逆立ちしたって真似出来まい。

2007/10/27 | 投稿者: losthouse

DVDを借りて来て、「パッチギ! LOVE&PEACE」という映画を観る。

とっても面白かった。「まいこはん」とか「戦艦大和」とか「そんごくう」とか、はなから観る気も起こらないような下らない日本映画のなかでは、だいぶまともな映画だと思うし、僕の周りのひとから聞く評価も悪いものじゃ無いんだけれど、一般的に世間では評価が低い、とされているのはインターネット上のレビューが原因のようだ。

それらは例えばヤフーのユーザーレビューに顕著なのだけれど、要するに「反日」映画で、「自虐史観」に基づいてつくられているこんな映画はダメ、ってのが大方の論旨で、まぁそんなレビューの五百や千はあっという間にネットにばら撒かれるだろうな、とは映画を観れば大体予想がつくんだが、何よりもこんな落書きみたいなレビューに影響される大人たちが結構居るってことが恐ろしい。

少し前までは、所謂ネット右翼の文章なんてまさしく便所の落書き、誰も本気で相手にするやつなんて居なかったのに、インターネットが「一般化」したとテレビや広告に騙されて信じられている社会では、本気で彼等の言論(言論、なんて大層なもんじゃないんだけど)に引き摺られてしまう馬鹿が沢山いるみたい。いや、中学生とかならわかるけど、いい大人が。
何より恐ろしいのはこうしたインターネットの読み方を知らない/慣れていない大人が、落書きを本気に捉えてその気分を現実に持ち帰って、「ネットではみんながこう言っている。だからこうあるべきなのだ」なんて言ってしまう世の中で、テレビも新聞も今ではそんな言説が当り前なのだから、もう駄目かな、と思う。

DVDを返して、帰りにザ・スターリン「STOP JAP NAKED」を買う。
82年に出たセカンド・アルバム「STOP JAP」のリミックス盤。当時レコ倫に引っ掛かって修正された歌詞を元に戻した無修正版で、リミックスで音圧も上がって実に格好良い。

右にも左にも絶望して、ただただ反日、っていうか反逆、反抗、もうあとはぶっ壊すしかねぇ、ってスターリンのやけっぱちに、中学生の僕は過剰に共感したものだが、同じように共感していた筈の当時の子供たち、すべての年老いたパンクスよ、今どこで何してる?
テレビや広告のビッグ・ブラザーに、取り込まれてるの?


2007/10/19 | 投稿者: losthouse

レイプする人がいたりレイプされる人がいたり、幼児をバラバラにする人がいたりバラバラにされる幼児がいたり、そんな現実の中でレイプするわけでもレイプされるわけでも幼児をバラバラにするわけでも幼児であるわけでも無い彼のような人間にとって、小学校に入学して直ぐの頃、午後の陽光に照らされた図書室の風景がことあるごとに思い出されるというのは、一冊の絵本がそこに有ったからだった。

それは表紙からページからすべてが真っ黒な絵本で、黒い帽子を被り黒い服を着た少年と黒猫が主人公で、両親が出掛けたあとの家の中を、少年と黒猫が歩き回る話だった。家には今までみた事の無かった部屋が沢山あって、ルソーのジャングルのような部屋とか、「昨日会った人と明日会う人が待機してる部屋」とか、迷路のような部屋の数々を旅する謎めいた絵本だった。
なんでそんな絵本が図書室に有ったのか解らないけど、その黒いページに描かれた何処となく陰気で禍々しい絵の数々に彼はすっかり夢中になってしまって、七歳くらいで転校してしまうまで、放課後毎日のように図書室に通っては、その絵本を眺めていたのだ。

それっきり忘れていた筈なのに、何がきっかけだったのか、ふと記憶が甦ったのは彼が二十歳くらいの時だった。
あの黒い絵本をもう一度読みたいと思ったけれど、物語や画面は克明に覚えているのに、肝心なタイトルや作者の名前がさっぱりわからない。学校の図書室に有ったくらいだから有名な本なのかな、と思って、少し詳しそうな人に訊いてみてもまるで見当がつかなかった。

二十五歳を過ぎた頃、彼は焼子という女性と暮らすようになった。焼子は絵本を書いて自費出版していて、ささやかな絵本のコレクションも所有していたが、その中に彼の黒い絵本は含まれていなかった。彼は記憶の中に浮かぶ絵を真似して描いてみたりして、こんな絵本を知らないだろうか、と出会った頃の焼子に訊ねたことがあるが、絵が拙かったのか、彼女は何も答えてはくれなかった。
スパゲッティの茹で加減とか、化粧水の蓋をきちんと閉めないとか、換気扇の掃除をどちらがするかとか、浮気をしたかしないかとか、色んな事情が重なって焼子とは長く続かなかった。

三十歳を過ぎた頃、時間潰しに入った喫茶店で、彼は重大な発見をする。
喫茶店の書棚にあった今江祥智の昔の著作、日本の絵本作家を紹介する評論集を何の気無しにぱらぱらとめくっていると、ページの端に描かれたカットに目が吸い寄せられた。つばの広い帽子を目深に被った、暗い陰を背負った少女が立っている。あの黒い絵本の主人公と同じ暗さで、同じ角度で立っている。
ひょっとして、と思い更にページをめくると、そのカットを描いた画家は上野紀子という人だと解った。上野紀子は中江嘉男という人と共作で何冊もの絵本を出版しているらしく、その中には「ねずみくんのチョッキ」のようなメジャーなものから、シュールレアリスムに影響された自費出版のものまで、多岐に渡っているらしい。

まさか「ねずみくんのチョッキ」と同じ人が描いているとは俄には信じられなかったが、これは間違いないと思った。彼はその日走るようにして家に帰ると、インターネットで上野紀子の名前を検索してみたのだ。

出た。あった。間違いない。これだ。この人たちが書いたのがあの黒い絵本だ。

そして、あの黒い絵本は、
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「扉の国」というタイトルだった。

「扉の国」は勿論既に絶版だったが、更にインターネットで調べてみると、通信販売で売っている古書店があった。だいぶプレミアの付いた値段だったのだけれど、彼はなんの迷いも無く即座に購入した。

更に「扉の国のチコ」という、まるで「扉の国」の続編のような新刊も出ていることを知り、こちらは次の日に書店で購入した。

二十数年の時を越え、彼は真っ黒なページをめくる。帽子で瞳を隠した少年と少女が、部屋から部屋へ、ページからページへ、時を跨いで行きつ戻りつしている。
毎日のように読んでいた小学生の頃には、この後姿の老人が瀧口修造だったなんて知る由も無かった。「これだよ、これが前に話してた本だよ」と言って焼子にも見せてやりたいと思ったが、彼女は去年肺癌で死んだと人伝てに聞いた。

2007/10/15 | 投稿者: losthouse

ボブ・ディランには人生のいろんな場面でだいぶお世話になっているので、しょーもないシングルとか編集盤の類まで出れば必ず買っていたけど、今度ばかりはもう騙されない。

というわけでベスト盤「DYLAN」が鳴りもの入りで店頭に並んでいても僕は素通り、未発表曲もライブ音源も無し、ただただ本当に有名曲を集めただけのベスト盤なんて流石にもう要らない。

でも同時発売の「我が道を行く」ヒップホップ調リミックスってのは、マニヤには評判悪いみたいだけど僕は結構気に入っていて、ついつい7インチ盤を購入してしまう。

ああ、また買わされた。

2007/10/9 | 投稿者: losthouse

前にも書いたけど、僕にとってのレッド・クレイオラは99年の「フィンガーペインティング」で一度終わっている。
94年の突然の復活、連発される新作、並びに旧作の再発、「フィンガーペインティング」はそれら再始動クレイオラとしての活動を総括していると思わせる内容だったし、何よりも作品として大好きだったので、もう新作が出なくても良いや、って気分だったのだ。

ところが、シングルとベスト盤を挟んで、去年になって新アルバム「イントロダクション」がいきなり出たのにはびっくりした。「イントロダクション」はそのタイトル通り、また新しいレッド・クレイオラのファースト・アルバムなのだな、という気がした。

そして今日、ザ・レッド・クレイオラ・ウィズ・アート&ランゲージ名義の最新作「サイズ・トラップド・バイ・ライアーズ」を聴く。

これがとてつもなく素晴らしいレコードだった。
クレイオラとアート&ランゲージはこの最新作でも、権威主義を徹底的に批判し、資本社会からこぼれ落ちたゴミ屑に向けて徹底的に優しい視線を送る。その優しさが要だ。

身の置き場の無いガキ共や、こぼれ落ちざるを得なかった人々、いや人だけじゃなくてすべての事象が、あたらしいかたちになって行く。そしてメイヨ・トンプソンのような本当に自由な人たちは、そのあたらしさを恐れない。
そこが自由人ぶってる癖に本当はあたらしいものが大嫌いな、凡百の爺さんたちとは違うところだ。




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