2006/9/29 | 投稿者: losthouse

数年前に流行ったムネオハウスとかも大好きだったんですが、僕こういうの無条件に好きなんです。最高です。

みのもんた


2006/9/26 | 投稿者: losthouse

タイガー田中死去。
http://commanderbond.net/article/3635

ワイドショーなんかで「007は二度死ぬ」の映像が流れて、芸能人が気の利いた事を言おうとして「丹波さん、英語も上手かったんですね」なんて言ってて、あれはガイジンが吹き替えてんですよ、ってテレビ画面に僕はひとり語りかけたのだった。

2006/9/25 | 投稿者: losthouse

坂東某とかいう作家が書いた、例の「子猫殺し」というエッセイが話題になり始めてから、もう一ヶ月くらいは経つんだろうか。(親切にリンク貼ったりはしないので、知らない人は自分で検索)
様々な議論が繰返されたが、「生命の尊厳を守れ」とか「猫にだって親子の愛情がある」とか、思考停止気味の批判が大方を占めているようだ。

僕はそのほうが生き易いんだったら、人間をサイボーグ手術するのも一向に構わないと思う性質の人間なので、どうしても必要があるんなら避妊手術も結構、雌猫の卵巣が切除されようが雄猫の精巣が切除されようが何とも思わない。

生命の元を絶つことは非人道的なのだと言われても、子供が生まれない、ってことがどれほど人道に反しているのかがわからない。生命は種の保存のため子孫を残すために生まれて来たので、その可能性を奪うことが可哀想だ、という意味なんだろうか。まるで子供のできない夫婦は生命を全うしていないと言っているみたいで、それもよく理解できない。

自然に反しているから良くないのだ、と言われても、山を崩してトンネルを掘ったり、野原をセメントで固めて自転車置場をつくったりすることとの違いがわからない。僕は遺伝子を組み替えてつくった野菜だって平気で食べられるし、山の中で野宿するよりも人間がつくった高級ホテルで寝るほうが居心地が良い。

いずれにしても、人間は自分の立場にたってしか物事を考えられないので、「自然」とか「生命」とかわけのわからないものの立場にたとうとするからわけがわからなくなるのだ。
要するに猫を擬人化して、「自分が避妊手術されるところを想像すると絶対イヤだ」から「猫にも避妊手術させたくない」ってだけの話であって、それこそ身勝手というか、人間ならではの傲慢な意見のような気がする。

そりゃあ子猫殺しなんて褒められたことじゃ無いし、僕も猫を殺したりはしたくない。だけど「可哀想だから」「殺すのは悪だから」子猫殺しは糾弾されるべき、とあまりに感情的になっている文章を沢山目にすると、嫌味のひとつも言いたくなってしまう。
これもやはり殺された猫を自分の立場に置き換えて過剰に勝手に感情移入しているだけであって、そうした個人的な思い込みを排して純粋に人間の立場から考えてみれば、「猫なんて何匹死のうが構わない」筈だ。人間の立場とは本来傲慢で冷酷なものなのだから、けものの命なんて何とも思っちゃいない。人間とはそういうものだ。猫を殺したりする人間の有り様を引き受けたほうが良いと思う。猫を殺してしまう人間の心根を理解しようと努力すべきだと思う。

で、ここからが本題なのだ。
そもそも僕が一番わからないのは、近隣に野良猫を増やさないようにする「社会的責任」というやつが有るばっかりに子猫を殺さなきゃならない、という部分で、別に近所が野良猫だらけになったところでそんなに困るもんなのだろうか、と思う。
街が猫でいっぱいになったら楽しいじゃないか。せいぜい公園の砂場で排泄をするから子供が遊べない、とか、さかりの声がうるさい、とか、その程度の問題じゃないのか?
ペストが蔓延するから、とか、諸星大二郎の「猫パニック」みたいになるから、とかきちんとした理由があるなら理解できるのだけれど。

2006/9/18 | 投稿者: losthouse

これってもう常識なのかも知れないけれど、一時期流行ったコピーコントロールCDってヤツ、いまではフツーにiTunesでリッピング出来るようになってるのだね。

たまたまマッキントッシュで聴いていたCDのケースをふと見たら、「これはCCCDです、パソコンでは再生できませんよ」って書いてあるんで吃驚した。だって普通に再生できてるんだもん。

てゆーかCCCDってものの存在自体すっかり忘れてた。一体なんだったんだ。どういう意味があったんだ。

2006/9/17 | 投稿者: losthouse

愛するものが約束を違えたり裏切ったりするもんだから精神が落ち込んで調子が悪い。
作業も煮詰まり、もう何をどうして良いのか解らなくなり、いっそすべて止めてしまえ、俺は娯楽に生きる、いまこの瞬間だけを見つめて、快楽にのみ生きる刹那的な俺、って感じのコスプレで、娯楽っつっても本か映画くらいしか思いつかないしこの状態で文字はとても読めないのでビジュアル世代の子供たちとしてレンタルビデオ屋で娯楽を求めて眉間に皺を寄せて物色。
でも世の中に映画は数あれど、純粋に娯楽だけを追い求めたようなものって意外に少なかったりするんだな、どんなに馬鹿馬鹿しそうな映画でも、途中で生きるってなんだ、とか人間とは、とか言い出されたらかなわん。そーゆーテーマが一切排された作品を求めるうちに、子供番組のコーナーへふらふら入ってしまって、あっ、これじゃん、これこれ、つって借りたのが「仮面の忍者 赤影」のDVDでござった。

アジトへ戻って寝転がって、生きる気力ゼロの姿勢で観ていると、これが異様に面白くって刮目、生きる気力がむくむく湧いて来た。
赤影、青影、白影、甲賀幻妖斎、金目教、傀儡甚内、闇姫、千年蟇、ギヤマンの鐘、大まんじ、ペドロ、大泉滉、里見浩太朗などなど総天然色のいろいろに励まされ、こんなに面白いのに67年の番組だって。67年といえばザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンドがデビューした頃、つまり「ウルトラセブン」の頃だなぁ、と思って、昨今では特撮テレビ映画といえばそのはじまりは「ウルトラQ」なんて円谷プロの歴史とイクォールに語られることが多くてやっぱりそれは良くない、「アゴン」とか「マリンコング」とか「恐怖のミイラ」を忘れてはいけないし、「赤影」の前年66年にはウルトラシリーズとともに東映では「悪魔くん」、ピープロでは「マグマ大使」が製作されて放映されていたのだから、それらも含めてひとまとまりってゆーか、アーティスティックな円谷作品よりも、東映とかピープロの泥臭い、駄菓子屋のおもちゃみたいなB級番組こそが当時の子供たちの心を鷲掴みにしていたんではないだろーか、と当時の子供でもないのに考えて、「赤影」なんてほんと馬鹿馬鹿しくてしょーもないジャリ番組を、いい大人たちが大枚を投じて真剣につくっていたこと、そんな心根が美しくて感激する。

観終わって夜。あーすんげぇおもしろかったぁ、と満足して、やっぱ忍者いいな、忍者おもしれぇな、ってひとりでつぶやきながら横山光輝の漫画を引っ張り出して読んで余韻に浸っていたりしたらいつの間にか一日が終わる。
ざまぁみろ、今日は純粋に娯楽にだけ生きてやったぞ、なーんもしなかったぜ、とほくそ笑んで深夜祝杯をあげていると、「生活も娯楽も捨てて修行僧のように暮らし、芸術にだけ生き、夭折した世界一ストイックな画家」のはなしを友だちから聞かされて、また落ち込む。

2006/9/13 | 投稿者: losthouse

じゃ、ボンドつながりでもう一つ。

「ビッグ・ボーイが剥製に」

鰐って長生きなんですね。

2006/9/9 | 投稿者: losthouse

いま一番観たい映画は年末公開予定の「007 カジノ・ロワイヤル」なんですが、本格的な予告編がやっと配信されました。

http://movies.aol.com/casino-royale-james-bond/exclusive-video-features/trailer-premiere

新ボンドの無骨なルックスは、いかにも殺し屋って感じで結構良いと思います。

原作を読んだことのあるひとは知ってのとおり、「カジノ・ロワイヤル」ってだいぶ暗くて地味な話なんですが、どう脚色されているのかが気になるところです。でもアストンマーチンが横転してぐじゃぐじゃになったりしてるところをみると、ちょっと期待しちゃいます。

まぁ、蓋を開ければいつもどーり、ってことにもなりそうですが。

2006/9/2 | 投稿者: losthouse

んで、そのボブ・ディランがアップルのCMに出演中。

iPod + iTunes Ad - Bob Dylan

格好良い。これ日本では流れないんだろーか。

こっちは新作からのプロモーション・ビデオ。

Bob Dylan - When The Deal Goes Down

2006/9/1 | 投稿者: losthouse

ボブ・ディランの新作「モダン・タイムス」を聴く。

1曲目から「ジョニー・B・グッド」の替え歌みたいなロックンロールで始まって、ジャズ、ブルース、カントリー、トラッド・フォークなどなど、戦前戦後のアメリカ音楽史を替え歌で俯瞰する、って感じの構成は前作「ラブ・アンド・セフト」と同じだけど、更に深くて、重い。

曲にはキャッチーなサビがある訳でも無く、単調で果てしなく続きそうなリフレインに乗せて、ただひたすら淡々と言葉を紡ぐディラン。その声はいつもの凄みのきいた濁声よりも率直で静かな印象で、うたうというより語りかける。
紡ぐ言葉は怒りと憂いと諦めと片思いに満ちていて、堤防決壊とか鉄道線路とか死者が甦る墓場とか、原型的なイメージが聴き手の心にしばらく居座る。

ここには「若さ」を至上とするようなロック業界(最近のストーンズとか)的なムードとはまるで異質な音楽がある。
10代の頃から老いたブルースマンをお手本にして、物真似ばかりしていた若きボブ・ディランが、本当に老いたブルースマンになってもなお老いたブルースマンをお手本にして物真似している。
それは老いたひとのノスタルジーかも知れない。失われたあの頃のあの曲をもう一度聴きたくて、自分で演奏しているのかも知れない。
でも「モダン・タイムス」のタイトでブレの無い音像からは、老人が夢見ているような印象は皆無で、ディランが多分ノリノリで脚をくねくねさせながらうたっている姿が目に浮かぶ。

年老いて、あたらしい若さを手に入れたボブ・ディランのように、そんな老人に僕もなりたいと思った。
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