2006/5/29 | 投稿者: losthouse

祖父江慎の装幀を愛でる為だけに、ほんとその為だけに毎回買ってるUMEZZ PERFECTIONシリーズ。
次回は「猫目小僧」ということで、表紙画像が公開されました。

http://umezz.com/mt/archives/000682.html

ううむ、今回も買ってしまいそう。朝日ソノラマ版で全部持ってるのに。

しかし気になるのは、全2巻というのは分量として少な過ぎやしませんか?
まさか、少年画報と少年キングで連載された60年代のエピソードのみ収録して、70年代に少年サンデーで書き足された短編を外すつもりなのではないか?という悪い予感がして来ました。

少年サンデー版の「猫目小僧」は兎に角すべて素晴らしい出来で、その寓話的な物語は僕の人生観に圧倒的な影響を与えているのですが、特に「ともだち」という短編は「烈願鬼 白露」と並ぶ僕の楳図フェイバリットなのです。
だから外したら許さん。つーか「ともだち」が入らなきゃあ現代に復刻する意味が無い。

2006/5/28 | 投稿者: losthouse

例のボブ・ディランのラジオ番組、3日間のフリー・トライアルを使えばタダで誰でも聴けるのですが、登録がめんどくせぇよ、なんつってサボタージュしてるファンも多いことでしょう。

そこで朗報。これまで放送された4回とも、mp3化して配信しているサイトがありました。

これでラクして聴けますね。
あのディランが結構よどみなく、実に楽しそうにDJしてるのが微笑ましいし、自分のレコード・コレクションを自慢しているような、こんな曲知らんだろ、良いだろ、って感じの選曲も面白いです。

しかし放送4回目、いきなり「野球に連れてって」をごにょごにょ歌い出したディランにはたまげました。本当よくわからん人です。

2006/5/26 | 投稿者: losthouse

東京、渋谷、NHKのとなり、スタジオパークでこんにちは、のとなり、NHKホール。
東京事変のライブを観る。

椎名林檎の歌唱は相変わらず素晴らしいし、全員でダンスまでこなすバンドメンバーの芸達者ぶりにも感嘆したが、演奏以外の部分でも、ショウとして完璧に計算し尽くされた演出になによりも嘆息。

寸分のタイミングの狂いも無く、楽曲構成とシンクロする豪華な照明デザインだとか、ソファやスタンドランプが置かれたリビングルームを模したような舞台美術。アンプ類が一切ステージ上に無い、というのが格好良い。
舞台を囲む三方の白い壁と、前面に下りる紗幕に投影される映像もまたシンプルで効果的であった。

まぁ、普段観ているようなライブとはカネの掛かり方が違う、と言ってしまえばそれまでだけど、完璧なエンターテインメントを観せてもらったな、という満足感は終演後もしばらく続いて、友人とウーロンハイとか飲んでたらいつの間にか深夜。え、もうこんな時間?とか言ってた。

2006/5/25 | 投稿者: losthouse

ル・グィン「所有せざる人々」を読む。

読んで、感動する。
小説を読んでこれほどわくわくして感銘を受けるなんて、十代の頃なら兎も角、もう大人になってしまったら無いだろうと思っていたので。

惑星ウラス。資本経済とマテリアリズムに毒された世界を見捨て、革命を志すアナーキストのグループがウラスにとっての月にあたるアナレスという惑星へ移住する。
彼等はアナレスで百年以上の歳月をかけて、高度にシステム化された無政府社会を作り上げるのだったが、アナレスは物資の乏しい不毛の惑星であり、そこで暮らす人々は食事や水の量まで制限されて、ウラスのブルジョワからは年中腹を空かせた囚人としてしか認識されていない。
物語はアナレス人の天才物理学者である主人公が、ウラス政府から招待されてウラスの地へやって来るところから始まる。
彼が見たユートピア、それはウラスなのか、アナレスなのか、真に自由なのはウラス人か、アナレス人か、というのが物語の骨子である。

って書くと、アレゴリーに充ちた教条小説みたいに思われるかも知れないけど、なにより感動的なのは主人公の人物像であり、人間ひとりを丸ごと描写したような素晴らしい文章なのである。
酒飲んでゲロを吐いたり、女で失敗したりして悩んだり闘ったりするひとりの男、読んでいくうちにすっかり彼に共感してしまって、本を読んでいるあいだ中、誰かと人生を共にしているようなこの感覚、長年忘れていたけど十代の頃にドストエフスキーを読んだとき、アリョーシャ・カラマーゾフやムイシュキンと共に歩いたあの日々の感覚とまるで一緒だな、と気がついて、これはとっても良い本だし、俺もまだまだイケる、と思った。

2006/5/21 | 投稿者: losthouse

最近おまえYouTubeのことしか書いてないじゃん、ほかに考えること無いんかうすら馬鹿、と怒られても言い返しようが無い。はい、寝ても覚めてもYouTubeなのです。
コンピュータの電源を入れたらとりあえずYouTubeに行きます。
何か調べものがあるときは、Googleじゃ無くてYouTubeで検索します。
そのうち調べものなんてどうでも良くなって、気がつくと夜になってたりします。
もはや生活の一部です。ルー・リードふうに言うとイッツ・マイ・ライフ・アンド・イッツ・マイ・ワイフ、ハハハなんです。

でも今日は皆さんに便利なツールを紹介するんです。だから許して欲しいのです。
その名もYouTube Downloaderなのです。
便利っつーか、究極です。
これにダウンロードしたい動画の直アドレスを入力すれば、あら不思議、勝手にダウンロード用のURLを生成します。
いままで苦労してアドレスを書き換えていた手間が一気に省けるんです。

ダウンロードが完了したら、従来通り拡張子.flvを追加してやるだけ。カンタンカンタン。
アップルなひとでも安心、全然見れます、落とせます。
flv規格が見れねぇよ、ってひとはVLCプレーヤーをここからインストールしましょう。

VLCが動かねぇよ、ってひとは、そこまで面倒見きれないので自分で検索して代わりを見つけて下さい。Macでflvが動くソフトは最近ごろごろ転がっているようですから。

これで僕のハードディスクもデビッド・チェスターフィールドの超魔術とか、ゆるキャラ耐久レースとかの下らない動画でいっぱいになり、その下らなさ、低俗さがディスクに蓄積された結果としてマシンが白痴化、漢字変換やメーラーの起動すら出来なくなり、メンテナンスを試みても冷却ファンからよだれをだらだら垂らすばかりで手がつけられず、OSを再インストールしようとディスクを挿入しても、画面には「だれでふか?なny;l@;:][]:.[\^.;,]........;_^-0」などと意味不明な警告が出て読み込まない。ディスクを吐き出したトレイは髪の毛の束やガムの食べかすなどでぬるぬるになっていて、その夜遂にマシンは発狂して爆発炎上、僕もろとも破滅。

2006/5/19 | 投稿者: losthouse

必聴です。

ウルトラチキンの歌↓
http://www.gochiso.ne.jp/lineup/lineup8.html

2006/5/14 | 投稿者: losthouse

何故か「スターウォーズ・エピソード・スリー」って映画を観た。

「スターウォーズ」は子供の頃に水曜ロードショーでやってたのが大好きだった(渡辺徹がマーク・ハミルで、松崎しげるがハリソン・フォードのやつ)ので、懐かしく思いながら観ていたのだけど、子供の頃観たB級映画では全然無くって、やけにコーキューな感じになっててがっかり。おはなしも面白くないし、なんかテレビゲームみたいだなぁ、と思った。

って、そんなことを考えながら冥土喫茶へ麦焼酎でも飲みに行こうか、と向かう道すがら、パチンコ屋があって僕はパチンコとかそーゆーの一切やらないのだけど、「海物語」ってポスターとかポップとかが飾ってあってそれが気になって、なにが気になるってアニメ画/ゲーム画のキャラクターたちが海のなかで笑顔を振りまいている図案が醜悪で僕はそれを見るといつも目を背けてしまうのだ。(この醜悪さを文章では皆さんにお伝え出来ないと思うので、検索してみたら出て来た。どうぞこの醜悪さをご覧ください)

冥土喫茶に到着して亡者たちの給仕する焼酎にほっと一息つきながら、そーいえばむかしアルバイトでテレビゲームの効果音をつくったことがあったな、と考える。
ゲームなんてエレベータアクションとかスペランカーしか知らないのに、なんで雇われたのか今でも不思議だが、ゾンビが沢山でてくるゲーム、当時大人気だったシリーズの新作を担当させられて、雇用主から渡された台詞音声のみ入っているムービーファイルを再生すると、登場人物がみんな英語でしゃべっとる。しかも御丁寧に日本語字幕までついて。
「これは輸出用なんですか?」と聞いて呆れられた。
ゲームの世界ではみんな英語でしゃべるのは常識、だって英語のほうが格好良いじゃん、ハリウッド映画みたいでコーキュー感あるじゃん、ってことなのだそうだ。

雇用主は紫色のダブルのスーツを着こなすちんぴらみたいな男で、僕のつくった効果音に容赦無くダメを出しては何度も直させたが、あの経験は大変勉強になったので今では感謝している。どう勉強になったか、というと、もう二度とテレビゲームの効果音なんてつくるのは御免だ、いくら金を積まれても絶対やらん、と僕に決心させたことと、やっぱりゲームなんかに夢中になってると頭が弱くなってしまうのだな、つくる側もやる側もゲームのせいで頭がスポンジになっているのだ、「ゲーム脳」ってほんとにあるんだよ、という概念を僕に信じさせた点において感謝しておる。

さて、信じられない方はこの動画を見よ。ゲームをやっているとこんなふうにボキャブラリーが貧しくなってしまうのだ。

2006/5/9 | 投稿者: losthouse

デレク・ベイリーを聴いたりする超俗な趣味は僕には無いんですが、ライブ動画面白いね。1分半しか無いから飽きる前に終わるし。

あと、レコード聴いたこと無いけど格好良かったのがフォーカス。僕はヨーデルに弱い。

2006/5/6 | 投稿者: losthouse

 何故あんな街へ行こうと思ったんだろう。寂しかったから、って言えば尤もらしいがそんなに寂しくは無かったからそれは違う、大体いつ行ったってろくな目に遭わないのだからもう行かなければ良いのだけれど、ふと帰り道に近くを通ったりするとついつい立ち寄ってしまう。いやそれも違う、何故なら昨夜は会社を退けて、家に帰る電車とはわざわざ違う路線に乗り込んでまであそこを目指したのであって、ふと通ったなんてもんじゃ無い、行かなきゃならん、と強く思っていたのだから俺は嘘ばかり言っている。
 おかげでろくな目に遭わなかった。陰口や意地悪や暴力や口臭でずたずたに引き裂かれ、実際に引き裂かれたわけじゃないからこれは心の話、ブロークン・ハート、それもちょっと違う、リグレット、なんで英語だ、つまり後悔、つまりやっぱりあんなところへは行かなきゃ良かった、という後悔、ってことでどうだい。そうかい。もういいかい。
 もう到着にしてからが不吉だったことは本当、通りを歩いている奴等は皆俺とは無関係、他人です、って顔してるのがむかつく、気に喰わない、地下鉄の駅から地上へ行く為に何故か一度更に地下へと下りなくてはならないという矛盾、長い長いエスカレーターに乗って地下から地下を目指すときにいつも思うのは天井へと広がる空間、あと十人は俺が縦になって重なる事が出来そうな高い天井、その上方にモザイク様の装飾があって、いつもあそこに指をかけてぶら下がっている俺を想像しては怖くて倒れそうになる、でも倒れたらもっと怖い、長い長いエスカレーターをごろごろ転がる俺、血まみれの俺、前歯を折る俺、俺折る、高所恐怖の強迫観念が甦る、だから俺は意識して指をかけてぶら下がっても安全なモザイクを探して、というのは例えばエスカレーターの下の方、降りきった辺りにはモザイクと着地点の距離が五メーターくらいしか無いから、あそこからなら落ちても安全、だから目標を定めてはそこから視線を動かさない、動いたらまた怖いポイントを探してしまって怖くなって倒れてしまう、気絶してしまう、高所恐怖が爆発、暴走、でもスカイダイビングはやってみたいと思う、とか言うと嘘だと思うだろうか、嘘じゃないよ、あそこまで高ければ恐怖は無いんじゃないの、もう想像力が補える範囲を超えているから。やった事無いからわからないけど、高所恐怖の源は想像力ですよ、だからスカイダイビングは道楽として成立すると思うし、パラシュートって概念が好き、空気抵抗って素敵、落下傘って語感が好きだったんだおっかさん。
 古代人間の頭は斧だった。ギロンみたいな。その名残を示してたまに陶磁製の人間を見かけては頭突きを食らわす斧人間がいる。その名は小野さん。諦めない目玉はコーヒー色、髭を上手く剃れないから鼻の下に間抜けな切り傷が何カ所かあって、「鼻びら、鼻びら」が口癖であったというのは近所の人間なら誰でも知っていることだが彼の身に異変が生じたのは昨日の夜のことであった。
 いつものように貧乏人を相手に頭突きを一発お見舞いしてやったところが、その瞬間小野さんの頭と貧乏人の頭が一体化、押しても引いても離れない。当然小野さんは激怒、名前も知らぬ貧乏人の頬や耳、胸や腹、股間めがけておこわ/総菜屋のアルバイトで鍛えた強力な拳を繰り出し、挙句膝や履いていた安全靴で壮絶な蹴り技をも披露しては、貧乏人が血やゲロにまみれて赤い布切れのようになるまで徹底的に叩きのめしたのだが、頭の前方からぶら下がった百六十センチメートルの布切れはちょっと邪魔、その貧乏人の名残を引きはがすべく私鉄の踏切へ直行した小野さんは、遮断機の降りる辺りに寝そべって器用にレールの上へ頭から伸びた布切れを渡し、つまり電車に轢かせて布切れと自分の繋がりを絶とうとしたのだった小野さんは電車の通過を待っていて、猛烈な尿意を催し、それは我慢出来たのだけれど集中力が散漫になっていたのかな、電車の到着を待たずして後から来たライトバンに轢かれて死んだ。遮断機の上がった踏切を車が通るのは当り前、みんなが馬鹿だ馬鹿だと笑ったというのは嘘、それほどみんな小野さんに関心は無かったから。
 ライトバンを運転していたのはジョシュア・トンプソン、なんとガイジンであった。ガイジンのくせにレンタカーを運転していた、ガイジンのくせに人を轢いた、ガイジンのくせにギアを入れ間違えて、ちょっと前進と後退を繰返したもんだから既に死んでいる小野さんの死体を更にすり潰した、ガイジンのくせに長崎ちゃんぽんが好きだった、ということでガイジンの間ではそこそこ有名になったようだったが、ガイジンたちにも結局ナニジンだったかは解らなかった、そこまで興味が湧かなかった、ということでもそこそこ有名になった。
 でも小野さんの礫死体がガラス細工か陶器のように粉々になっていたことはもう少し話題になった。古代の人々の遺伝子を今に伝える斧人間たる小野さんが、かくも繊細な死体をさらしたことでインターネット上にもトピックとしてアップロードされていたくらいだから、まるで色とりどりの花を撒き散らしたかのようなあの美しい写真は俺が咄嗟に携帯電話についたデジタルカメラで撮影したものだったのだ。ざまあみろ。
 夜が明けて、陽光に照らされて。赤や黄色の破片が光の角度を変えてそのせいで空気は澄み渡り、遠巻きに眺める恋人たちはみな正直者に成り代わった。恋人で無いひとたちは、少し空腹をおぼえたのだという。だからその日泥鰌屋は過去最高の売上げを達成した。

2006/5/4 | 投稿者: losthouse

近いのか遠いのかよくわからん、微妙な場所に位置する日本青年館大ホールまでてくてく行って、平沢進「Live白虎野」を観る。

昔にくらべて格段にクオリティの上がったCG、インターネットとライブ会場の連動など、インタラクティブ・ライブはイベントとしてすっかり完成の域に達しているように思える。
思えるのだけど、じゃあこれ別にライブじゃなくてもいーじゃん、歌ったり演奏しなくてもCGだけでいーんじゃね?とも思ってしまって、インタラクティブを追求した先には、CGとSEのみで構成された遊園地のアトラクションのようなものが残るのではないか、そろそろインタラクティブ・ライブという形式も潮時なのでは無いかな、と思いながら観ていた。

でも、つまらなかったわけじゃ無い。
「平沢語」に慣れていないとまったくわけがわからんであろう、ひねくれて愛想のない物語とか、円相場の変動によってリアルタイムに進行が変わる仕掛けとかは面白かったし、完璧なバグパイプ奏法を弾きこなす、ギタリスト平沢が久しぶりに観れたのは感激だった。

何より、いわゆる「音楽シーン」からは完全に隔絶された場所で、閉じた世界ではあるが自分の趣味や主義主張だけを徹底的に追い求める平沢進というひとがまだこうして演奏しているということ、インタラクティブだろうが何だろうが、まだライブを続けているということ、バンドも無くなり、ひとりぼっちになっても変わらぬ創作意欲を持ち続けているその姿に、僕は勇気づけられるのだった。
クリックすると元のサイズで表示します




AutoPage最新お知らせ