2005/9/28 | 投稿者: losthouse

こ、これは面白い。

http://www.yomiuri.co.jp/komachi/reader/200509/2005090300014.htm

下のほうにある、気付かぬ間に髪の毛にリボンが結ばれてる、ってゆーのも最高におもろい。

2005/9/27 | 投稿者: losthouse

興味深い論文。
http://homepage3.nifty.com/kazano/peepoo/kyukyusha.html

そういえば黄色い救急車ってみんな言ってました。
子供の頃はまるで疑わずに、黄色い救急車が実在するものだと思っていましたから、やはり馬鹿ですね。

2005/9/26 | 投稿者: losthouse

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ザ・ストゥージスのファーストセカンド・アルバムが、未発表テイクや別ミックス、シングル・エディットなどなど盛り沢山のおまけ付きで再発売されていて、8月頃から店頭に並んでいたのは知っていたのだけれど、何故だか売価がやけに高い。
なもんだから買わずにうじうじしていたところ、タワーレコードのポイントが溜まっていたのを思いだし、二枚まとめてレジに持ってって、「これとかえてくらはい」っつってポイントカードを店員に突きつけて手に入れた。

アジトで爆音で鳴らし、異様に音圧の上がったリマスタリングに感激し、盛り上がって一緒にうたったり踊ったりして聴き終えて、いやぁやっぱイギーは最高だね、なんつって汗を拭きつつ息を整えインターネットに接続。こんなサイトを見つけました。

http://amaste.com/dog/dog.htm

ストゥージスの名曲「おまえの犬になる」のカバー・バージョンをこれでもかと集めたサイト。本気で集めたらまだまだこんなもんじゃ済まない気もするが、有名どころから全然知らないのまで気が利いてます。スワンズなんて懐かしいね。
ボウイーのは80年代っぽいけど、いつ頃のライブなんでしょう?意外に最近だったりして。

2005/9/25 | 投稿者: losthouse

 四方の壁は白く、空気圧で開閉する仕掛け扉の表面もまた白く、白いベッドに横たわり、白いチューブに繋がれた兎の身体もやはり白い。
 兎がこの病室に運ばれてから二週間、今では兎の身体は初め会った頃の半分くらいの大きさになっている。僕はベッドの脇に立ち、兎にそっと合図を送ると、兎が口を開くのをしばし待つ。待っている間がもたずにポケットの中の煙草とライターをいじくり回し、当然ここは禁煙なのだ、と病院に入る前から頭では了解していた事柄が、身体全体に行き渡ってようやく指先に到達し、僕がポケットの中をいじるのを止める頃、兎が僕に気がついてその小さな口を開く。
 兎の声は滅菌された病室内で異様に大きく響く。怒りと苛立ちを僕に向け、しっかりとした口調で語りはじめる。

 「私の右耳は、金属の飾りで装飾されています。私の生きる様を他人に見せつけたくて、私は私の肉体をカスタマイズするのです。そうした時から私の耳には、今まで聞いた事も無い小さな囁き声が聞こえるようになりました。その声はまるで私の未来を暗示するように、不吉な言葉を囁きます。しかしその不吉な声を聞く度に、私は現在というこの瞬間を意識して、過去の一切は忘れ去られ、憎まれる為に在るのだと知りました。だから私は追憶という行為を拒否します。私の記憶は見事に修正され、今では意味を為さない記号の配列に純化されました。しかしそれで困った事も有ります。何故なら私には帰る路も家も無いのです。あなたが何者か知りませんが、関係性という概念が私には欠如しています」
 「僕は僕だよ、そして君は兎だ。」
 「私はあらゆる関係に絶望しているのです。全ての配列は、それがランダムであるにせよいずれ破綻します。私に認識出来るのは私という個体の属性だけ。人は皆無闇に他人との関係を求めて生きているように見えます。しかし私は一介の兎。絶望のなかで独りで生きる宿命です。それは私にとっては誇りでもあります」
 「僕を独りにするのか?」
 「あなたはもとより独りだった筈ですが。そして私も独りです。兎というのはそういうものです。あなたは過去と未来に執着している。そういった一切の煩悩を捨てて、過去を改変し、自らをカスタマイズして未来を生きるのです」
 「しかし記憶は捨てられない。特に僕のような人間にとっては、過去の記憶はいつまでもつきまとうのだよ」
 「澱ですよ。言葉を持った肉体の驕りです。頭脳を断片化して、言葉を記号へ落とし込むのです。やってしまえば簡単な事なのに。追憶が苦痛である事を、あなたは知る価値のある種類の人間ですよ」
 
 そこまで言ってから兎は目を閉じ、安心したような微笑を浮かべて眠る。彼等が兎に託したものは、小さな兎の肉体には荷が勝ちすぎていたのではないか。兎という動物は淋しいと死んでしまうのだと言ったあの女の言葉を信じるのなら、彼等が兎に望んだ精神は兎にとっては激し過ぎる。
 
 空気圧の扉が音も無く開き、半陰陽のナースがひとり現われる。腕時計を見ると、指定の時刻をもう十五分も過ぎていた。これから僕は右脚大腿部から独裁者の日記を取り出す為に、薬物投与と外科手術を受けなくてはならない。それはあの採石場のメリーゴーラウンドで、彼等が僕に託したものだ。
 果たして僕は、彼等の望み通り、彼等の強靭な意思を生きることなど出来るのか。昔も今も僕は代表選手向きじゃ無いし、身体が弱った兎に何を食べさせれば良いのかもわからなかった、無知蒙昧な人間だというのに。

 無音だった病室に、突然クラシック音楽が流れ出す。見ると天井からはボーズのスピーカーが四本吊るされていて、今は小さな音量でバッハだかビバルディだかを鳴らしている。
 ほら、僕はこの曲がバッハかビバルディかも知らないのだよ。それほど無知な人間なんだ。だから過剰な期待を寄せるのはやめてくれ。そんなに強く腕を引っぱらないでくれ。僕は日本地図上で、滋賀県の正確な位置を指し示すことも出来ないんだ。餃子の皮の包み方も知らないんだ。恩賜公園の恩賜って字も最近まで読めなかったんだ。漫画しか読まないんだ。中卒なんだ。だから僕に、そんなに重要な役目を背負わせないでくれ。 

 痛いよ、そんなところに注射するのは恥ずかしいよ。

2005/9/24 | 投稿者: losthouse

もとより人付き合いの多いタチでは無いので、携帯電話にしじゅう着信が有る訳でも無いけれど、もっと鳴らないのはアジトの電話である。
携帯電話の番号を知っているのに、出るかどうかもわからない固定電話にわざわざかけるひとも少ない。それに考えてみると、僕が携帯電話機を買う前からの友だちならまだしも、その後知り合った人物はそもそもアジトの電話番号を知らないのである。
アジトにある電話機は埃をかぶり、今やプラスチックの置物と化している。必要な用件は全て携帯電話で済むのだから、当たり前といえば当たり前の話である。


本日アジトへ戻ると、その電話機の留守録再生ボタンが、暗い部屋のなかで緑色にぽかぽかしていた。
何と珍しいこともあるもんじゃ、と呟いて、僕は再生ボタンを押し込んでプレイ。
聞き覚えの無い初老の男性の声が、雨の音とともに室内に響く。

「ピーッ。ルス、イッケン、デス。ピーッ。

 あどうも。お世話になっております、ツキモトです。
 電気系統のほうですが、明日は台風らしいですから、取り止めにさせて頂きたいと思います。 
 昨日お届けした書類のほうは捺印して、発送しておいて頂くようお願いします。
 あとそれから、もし公認の方が必要なんでしたら、推薦の準備もありますから、
 遠慮無く申し出てください。こちらから推薦させて頂きますので。ではどうも。

 ピーッ。ゴゴ、ヨジ、ジュウゴフン。オワリマシタ。ピーッ」


公認って何の話なんだ。ツキモトとはいったい何者なのだろうか。
気になって眠れやしない。というのは嘘。オヤスミナサイ。

2005/9/23 | 投稿者: losthouse

グレッグ・イーガンの「しあわせの理由」という短編小説を読んで、感激する。感動する。たまげる。
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「しあわせの理由」の主人公は少年である。彼は12歳の誕生日を境に、幸福感、無敵感に四六時中支配されるようになる。実は少年の脳には腫瘍が出来ていて、腫瘍がもたらす症状として、よろこびの感情を伝達するエンドルフィンの一種が異常な濃度で分泌されていたのだ。
彼は腫瘍の除去手術に成功するが、その奇妙な症状全体を把握しきれなかった医師の為に、癌細胞と共に幸福伝達物質もすべて取り去られてしまう。
以降慢性鬱状態に陥った彼は、三十歳になった時、未来の医療技術によりダミーの神経系を埋め込む事で感情の回復をはかろうとするが、擬神経を埋め込んだ彼はアイデンティティを喪失してしまうのでした。なんでそうなるかは読んでのお楽しみ。


主人公の一人称で描かれるこの小説は、全き人間性の探求の物語である。が、いわゆるブンガク的な「人間性」は省みられず、人間性とは脳の神経作用に過ぎないという前提が実に愉快なんである。
神経経路を合理的にデザインすることで自己を取り戻そうとする彼の姿はおかしくも悲しく、感動的であり、この小説は飽くまでクールに、読者の現実認識を揺るがし、自己の確立を迫る。
「しあわせの理由」は未来を描くSF小説であると同時に、少年の家出、独り立ちの物語でもあるのだ。本当に素晴らしい。


読んでいる最中、安部公房の「R62号の発明」とか「第四間氷期」を思い出していた。
「しあわせの理由」より約40年前に書かれた小説だが、冷酷で詩的な未来の描き方のやりくちがとても良く似ていると思った。
僕はSFが好きでよく読むが、未来を現実の絵解きのように描くSFもよくある。とゆーか多い。そんな小説は「あー面白かった」または「つまんねーな」でやり過ごせるものだが、安部公房の諸作や「しあわせの理由」はそれでは済まない。未来は現実の我々から切り離された異形のものとして聳え、我々の孤独を増幅しては未来への生き方の決断を迫る。
ほんとうに良いSFとはそーゆーもんだと思う。
SFに現代小説の活路を見出していた往年の安部公房がいまもし生きていて、「しあわせの理由」を読んだらなんと言っただろうか。そんな事を夢想して楽しんだ。


最後に、「未来とは」と題された、1960年の安部公房講演会速記録を無断で抜粋して、今日はおしまい。

「未来そのものは実現したら現在になってしまうのですから、結局実現しないものですが、このようにたえず消されて行く未来、つまりたえず否定されていく本当の未来は、個人の願望とかなりへだたりのある場合がしばしばあります。
 これを強引に個人の願望と、社会の願望を機械的にくっつけて、飛躍のない、日常性の連続の上に未来を予想したがる傾向がありますけれど、これは、人間の本能というより、弱さをもっているからだと思います。」
「未来像というもの、これは個人的な生物的な願望からは、絶対に類推のできないもので、これはおそらく、非常に断絶した、あるいは軋轢の多い場合があるかもしれないぐらい、またあるときは、非常に恐るべきものにみえるかも知れない未来であると思われます。」
「前に、『第四間氷期』を書いたのですけれども、あれはだいぶ誤解されまして、あれは、ユートピア小説だろうとか、あるいは、未来を悲しんでいるんだろうとか、いろいろな批評が出ましたけれどもそうではなくて、私の意図は未来は個人の願望から類推できないほど、断絶したものであり、しかもその断絶のむこうに、現実のわれわれを否定するものとしてあらわれ、しかもそれに対する責任を負う、断絶した未来に責任を負う形以外には未来に関り合いをもてないということなのです。
 それは一見、つらいことですが耐えなければならないことで、革命というものも恐らくそういうものだろうと思うんです。
 未来を凝視する能力を人間が与えられたことは、それだけ苦しみを与えられたことになるのでしょうが、その苦しみとか、よろこびとかが、対比的にあらわれるのではなくて、それ以外に未来とかかわりようがない、これとかかわりあわなければ、その人間は、うまく行けば、死ぬまで、なんとか現状維持できないこともないのですけれども、必ず、その人間は未来から裁かれるのです。」 

2005/9/21 | 投稿者: losthouse

こうの史代「夕凪の街 桜の国」を読む。
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ストレートに広島の原爆被爆者の戦後〜現在について書かれていて、つらく悲しいお話ではあるのだけれど、同様テーマの諸作にありがちな陰鬱なムードは全然無くて、むしろ明るい語り口で描かれる登場人物たちの日常が健気で爽やかで実に良い。

何よりも全編フリーハンドで描かれた絵がとても素敵で、この絵柄で描かれるからこそ読後感がこれほど清々しいのだな、とも思う。

こーゆーのを読むと、やっぱり漫画は良いなぁ、と改めて思う。

2005/9/20 | 投稿者: losthouse

新宿の淳久堂書店に行って文庫本を買い、ついでに漫画売場を覗く。

独りの青年、二十歳そこそこだろうか、眼鏡をかけてなよっとした風体の男が大島弓子のコーナーに座り込んで、朝日ソノラマの選集や白泉社の文庫版を一冊取り出して眺めては棚に戻し、また一冊眺めては棚に戻しと、随分熱心に物色している。
どれを買おうか迷っているのだな、と思って、ひとこと助言してあげようかという欲望をじっと抑え、最終的にどれを選ぶのかとても気になり他の売場へ行く事も出来ず、隣の本を見ているふりをしながら横目で彼をじっと観察していた。

眺めて戻し、眺めて戻しして5分くらい迷った挙句、彼がレジへ運んだのは白泉社文庫の「バナナブレッドのプディング」で、なかなか良いチョイスだと安心する。

思えば僕が最初に買った大島弓子も「バナナブレッドのプディング」だった。
冒頭、主人公の台詞『きょうはあしたの前日だから…だからこわくてしかたがない』にグッと来て、ぐいぐい惹き込まれたもんだ。大島弓子入門編としてはベターな選択と言えよう。

まるで大島弓子の漫画の登場人物のようなふにゃふにゃした好青年の彼が、あの台詞にグッと来て幸せな出会いをするように、と僕は心のなかで祈っていた。

あ、でも「バナナブレッドのプディング」が彼にとって初めての大島弓子だという確証はぜんぜん無い。想像です。妄想です。

2005/9/19 | 投稿者: losthouse

洗濯機の数に比して、乾燥機の数が少な過ぎるのだ。

洗濯機が洗濯を済ませる時間に比べて、乾燥機がドラム一杯に詰められた洗濯物を乾燥しきるまでの時間のほうがはるかに長いというのもいけない。
俺の桶から一番近いランドリーには丁度10台の洗濯機が設置されているのだが、それに比べて乾燥機はというとたったの2台しか無く、洗濯を済ませた奴等がいざ乾燥機へ洗濯物を放り込もうと思って乾燥機を見やると、2台どちらの乾燥機も稼働しており、誰かの洗濯物が熱風のドラムのなかでぶるんぶるん回っている間にも、順番を待つものたちが両手に下げた籠のなかに脱水したばかりの洗濯物を抱えて、煙草をふかしながら誰か別のやつに割り込まれないようにと目を光らせている。特に行列をつくるという訳でも無く、乾燥機の斜め前あたりに立って悠然としているのがまたかえって無気味だ。
いま乾燥機の周りにはつごう5人の男達が順番待ちで突っ立っているが、そうして待っている間にも洗濯機は素晴らしい効率で次々と洗濯を終えていくので、その度に洗濯機から洗濯物を取り出し、乾燥機が空くのを待つ奴等の数が増えて行く。順番待ちの棒立ち男たちが増えて行く。

俺たちには洗濯物を干す場所が無いのだ。

独身者用の桶アパートが立ち並び、大通りとコンビニエンスストアしか無いこの辺の地区に住んでいる俺たち独身者は皆そうだ。
年中天気は曇り空か雨降りなので、いくら完璧に脱水したところで、ただでさえ湿気の多い桶に干しっぱなしにしておけば洗濯物にはいっぺんに黴が生える。
かと言って、窓の一枚も無い桶暮らしでは、外にぶら下げて自然乾燥に任せるというわけにはいかないし、格好の空き地、例えば建設中の箱マンションの工事現場なんかに場所を見つけて洗濯物を干したとしても、独身者を目の敵にしている家庭自警団にびりびりに破かれて捨てられるか、虫犬に引きちぎられるかなにかしてしまうので、誰もそんなことをしない。
時折桶の独身者にも勇敢な、というより考えの無い馬鹿が居て、家族用の箱マンションの駐車場の塀やなにかにズボンやタオルを引っ掛けて、虫犬が近付かないようバルサを燃やして、昼から夜までずっと見張っているようなのが居るが、大体は家庭自警団に殴りまわされた挙句洗濯物もバルサと一緒に燃やされるか、箱マンションに住んでいる家族から警察へ通報されて連行されてしまう。

そして俺は、洗濯機が脱水を終了したのを確認すると、洗濯物を取り出して乾燥機の前を通り過ぎ、ランドリーの前に止めておいたバイクの前籠へとそれらを詰め込んだ。
煙草の煙で視界すら判然としないランドリーのなか、乾燥機の周辺に立ち尽くし、夜が来るまでに自分の順番が回って来るのかどうかもわからない悲しい男達を横目に見つつ、俺はペダルを踏み込んで走り出した。

今日はまだ雨は降っていない。あんな所で惚けた顔で、乾燥機の順番を待っているなんて俺にはとても耐えられない。それよりはこうしてバイクの籠に洗濯物を入れて、結構なスピードで走り回っていれば桶のなかに干すよりも少しは早く乾くだろうし、独身者用ランドリーの乾燥機はどこへ行ってもフル稼働だろうけれど、この地区から離れた所、独身者の数が少ない家族街なんかに行けばもしかしたら空きがあるかもしれない。俺は、浮き浮きした気分で大通りを走り抜けた。

2キロほど走ったところで、歩道いっぱいに家族連れが湧いたように溢れ始めて、邪魔くさいのでちりんちりんとベルを鳴らしながら、それでも避けようとしない家族たちに苛ついて、スピードを出して巧い事人垣を避けながら走り続けていると、赤い警棒を握り、家庭自警団の制服を着た男に止められた。
「すんませーん、お神輿とーりますんでー」頭の禿げ上がった中年の自警団の男が、軽薄な口調で言いながら俺のバイクの前籠をしっかりと両手で掴み、なおかつ少し左右に揺らすもんだから、俺はバランスを取れなくて右足と左足を交互に地面につけては慌ててしまう。自警団の男はそれを見て、馬鹿にしたようにへへへ、と笑った。
「お神輿?お祭りでもあるんですか」
「あるんですかって、あるんですかって、今日は家族祭の日なのでー、ありまーす」
酔っているのか、それとも馬鹿なのか、男は斜視の濁った目を空中に向けながら、甲高い声でそう言った。
男の背後、はるか前方に、20人ほどの屈強な男たちが、確かに神輿を担いでこちらへ進んで来ているのが見えた。しかしそのスピードは亀の歩みのように遅く、「あっそい、あっそい」と気合いを入れる声だけは立派なのだが、ちっとも進んでいない。
「ここは通行止めなんですか」
「いや、そーゆーわけじゃないけどー、お神輿とーったらとーれるんですけどー」
「じゃああれが通り過ぎるのを待てば通れますか」
「いや、そーゆーわけじゃなくてー、きょーはいっぱいお神輿でてるんでー」
「じゃあやっぱり今日は通行出来ないんですね」
「いや、そーゆーわけじゃないけどー、今日は家族祭の日なのでー」

「おい、おじさんが困ってるだろ。邪魔だからあっち行けよ」俺たちのやりとりを聞いていた家族の中年男が、俺の肩を掴んで言った。
男の周り、俺の周りにいる家族連れたちも、非難がましい視線を俺に向けている。
俺はむかついて、こいつら全員ぶん殴ってやろうかと思ったが、俺の肩を掴む中年男の体格は立派で背も高く、家庭自警団の男も馬鹿ではあるけど手にした警棒の威力は良く知っている。それに俺がここで騒ぎを起こしたらはるか前方で神輿を担いでいる20人ほどの屈強な男たちが黙っている筈は無く、怖いので俺はおとなしく大通りの隅から路地に入り、狭い路をのろのろと走って去った。

家族街へは随分と遠回りになるが、もともと目的があったわけでは無いから別に良い。俺は前籠の洗濯物に手を突っ込み、かき回してみたがまだまだ水気が多い。というよりもちっとも乾いていない。もっと風を切って進まなければ、それともどこか空いている独身者用ランドリーの乾燥機を探して突っ込まなければならない。
確かこの路地を向こう側へ抜ければ、幹線道路が走っている筈だ。あそこまで行けばもっとスピードを出して走ることが出来る。

そう思いながら狭い路地を進んでいると、またもや家族たちに前方を塞がれる。
狭い路の片側に、布を敷いて古着、アクセサリー、線香、自作の詩、似顔絵、ミニカー等を並べて売る露天商たちが何十人もずらりと並んでいて、それだけであれば片側は走行可能なのだけど、商品にかぶりつきの家族連れたちが道幅いっぱいになって露天商たちと値引きの相談や釣り銭の受け取りなんかをしているので、バイクが入る隙間が無い。

俺はまたもやベルをちりんちりんと鳴らし、「すんませーん、とーりまーす」と大きな声で叫んでみたけど、家族たちは矢張りちっとも避けようとしない。
本気でむかついたので、「はいとーりますよー」と今度は小さな声で言って、男女の尻や肘にバイクのボディがぶつかるのも構わず、俺はがむしゃらに走り始めた。
いてっ、ざけんな、あぶねっ、などと声がするが、却って小気味良く思えたので、それにも構わず俺は走り続ける。そのうち一際大きくぎゃあ、という声がして、流石に何事かと振り向くと小さな子供が踞って泣いている。
線香売りと商談していた子供の母親らしき女が現れて、「マモルちゃんどうしたの」とかそんなことを言う。
俺がマモルちゃんの足を轢いたのは明らかだったが、知るか、と思い俺が再び走りだそうとペダルを踏み込んだ瞬間、あごにだけ髭を伸ばした(気持ち悪い)まだ若く見える線香売りが布のうえから立ち上がり、「おい待てよ」と凄む。やべっ、と思ったがもう遅い。
「はい?」
「はい?じゃねーよ、泣いてんじゃねーかよ」
「はぁ。すんません」
「すんませんですむかよ、だいたい独り者のくせしやがって家族祭の日に外ふらふらしてんじゃねーよ」
「だからすんませんって言ってんじゃねーかよ」
「なんだよその態度は。やんのかよ」
「やんのかよなんて調子にのってんじゃねーよバルサ野郎が。家族祭だかなんだか知らねーけど狭い路で店なんか出してんじゃねーよ、そりゃ子供のひとりも轢くっつーの。こっちは急いでんだ馬鹿。てめぇの店のインセンスも全部轢くぞこら」

俺が啖呵をきったその途端、線香売り以外の露天商たち、似顔絵書きや小物売の男たちがすっくと立ち上がる。「ゆるさねぇ」とか口の端でもぐもぐ呟いていてとても怖い。
「ガー呼んでこいガー」ひとりの男がそう叫ぶと、若い女が家庭自警団を呼びに走り出した。
こりゃいかん、と思って俺はペダルを踏み込み、全力で走り始めた。今度は家族連れたちも、路の端へ避けて逃げた。
「ざけんな、待て」線香売り以下、露天商の男たちが俺を追って走る。自警団の笛の音も聞こえはじめる。俺は自身の最高速度で、路地から路地へと逃げて走る。

出鱈目に走り続け、露天商たちも追うのを諦めたのか路地は今や静まりかえり、俺はほっと息をつく。
自分が今どこにいるのか皆目見当がつかないが、とにかく追っ手はまいたのだ。後はのんびり走って、自分の地区へ行く道のりを探して帰ろう。
ふと前籠の洗濯物を触ってみると、しっとりと濡れている。何て事だ、あれだけ全速力で走ったのに、まだちっとも乾いていない。こりゃ乾燥機でないと無理なのか。とにかくどこかの地区へ出よう、そうすれば独身者用のランドリーもあるだろうし、今度は並んでいても順番を待って乾燥機を使うことにしよう。

そう思って路地をしばらく流していると、前方で奇妙な物体が揺れている。
神輿だった。しかしその神輿は前に見た屈強な男たちが担いでいた神輿に比べるとはるかに小さくまるで子供サイズで、担いでいるのも三人ぽっち、しかも背の低い、ひ弱な操り人形のような男たちが「あそい、あそい」とか細い声で鳴きながら担いでいるのだ。

足袋と半纏の貧弱な後姿。神輿は前方へ向けてゆっくりと進み、揺れている。それを眺めていたら先程から俺に降って湧いた暴力と悲劇、家族たちからの俺に対する理由もない蔑み、確かに子供の足を轢いたのは俺も悪いが、もともとあいつらがあんな狭い路に店を出しているのが悪いので、あんなふうに俺が恨まれる理由も無いし、殴るために追いかけて来るなんて独身者であるというだけで見下し、馬鹿にしている以外理由は無いじゃないか、というそれら復讐の感情がめらめらと心に沸き上がり、神輿はそれだけ小さいのだから充分脇を通り抜けて行けるスペースはあったのだけど、わざとベルをちりんちりんと大仰に鳴らし、「どけよあぶねーよ轢くぞ馬鹿」と叫びながら前方の男たちへと突進して行った。

15分後、俺は血まみれで路地の端、側溝の上に横たわっていた。
三人の男たちは実に強かった。ひとを後姿で判断してはいけない。彼等はひ弱どころか、とてつもない強靭な腕力で俺を叩きのめし、歯が折れ鼻血を出して倒れた俺を更に蹴り回した挙句、下品な声で笑いながらまた神輿を担いで行ってしまった。

虫犬が一匹、血の匂いに誘われたのかどこからともなく現れて、倒れて曲がってしまったバイクの前籠から俺の一張羅のシャツを引っぱり出し、無茶苦茶に引きちぎっていた。

灰色の暮れかけの空から、雨が降って来る。
虫犬は洗濯物を引き裂く事に飽きてしまい、俺の膝をかじり始める。
むず痒いような変な感じがするが、ほんとは痛い。男たちに蹴り回され脚の感覚が麻痺しているのだが、ほんとは痛い。俺の洗濯物も俺も、血と雨にまみれずぶ濡れで、俺は靴も失くしてしまって悲しい。

2005/9/18 | 投稿者: losthouse

というわけでウェブログである。
なんだか猫も杓子もブログブログといった具合で、世間を呪う偏屈な僕としては何だよブログってよーつまんねー日記なんか書いてんじゃねーよ勝手に仲良しごっこしてろよと常々善良な市民に対して言いがかりをつけていたのだが、ここまで普及してしまうと、今更始めたところで目新しさも特に無いわけだし、サイトの更新と言っても最近は備忘録を書く事しかしていなかったのだからウェブログは僕向きのメディアでは、とも思えて来た。何よりもブラウザから更新出来るという簡便さは他に代え難いし、携帯電話からも更新出来るというのだから凄い。

ロストハウスが演奏活動を止めてそろそろ一年が過ぎようとしている。ライブもせんと一体何をしているのかと思えば、こんなウェブログなんかをやっている、という理解であればそれで良い。よろしく。ピース。




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