岩手山の麓で温泉に入浴中、地震を感じました。
とても大きな、これまでに経験のない、そして素人ながら普通の地震じゃないと感じる揺れでした。
それでもここまでの惨状と広範囲にわたる大きな影響は、正直なところ想像できませんでした。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
また、今も大変な避難生活を強いられている皆さんの、一日も早い復旧・復興をお祈りします。
3月11日 午後2時46分頃
地震発生!
露天風呂から飛び出し、オロオロ・・・
いつまでも激しい揺れが続く。
本当に長く、気づけば身体がすっかり冷え切っていた。
服を着て屋外へ退避。
ラジオなどから「震度7」の情報にびっくり。
ケータイはつながらない。
メールが何とか通じた。
家族ととりあえずの無事をお互い確認した。
とりあえず家族の下へそれぞれ帰ることに。
停電。
信号もつかない。
あ、ガソリンスタンドやってない。
燃料メーターは残り1/3、家までは持たない・・。
走行途中も激しい揺れが続く。
「日本沈没」「死都・日本」、映画・小説の世界やこれまでの震災報道などが脳裏に浮かぶ。
盛岡市付近に来て車の燃料ランプが点灯。
最寄のGSに入って給油は無理か訊ねたが、当然無理。
停電復旧しだいに営業再開とのことで、のんきに待たせてもらう。
暗くなり、本日はもう営業しないと言われる。
明日の停電復旧・営業再開を期待して、敷地の端で待たせていただくことにした。
寝袋OK、食料OK、飲み水OK、ないのは酒だけ。
しょうがない。
あんドーナツを食べてインスタントコーヒー飲んで、ダウンの寝袋で車中泊。
いつものこと、快適に睡眠。
と思ったら、一時間もしないうちに激しい揺れが繰り返し、怖い。
3月12日
夜が明けた。
停電は復旧しない。
津波被害などが報じられている。
復旧の見通しはたたないとニュースが繰り返す。
よし、避難所行こう。
リュックに寝袋や食料、水、ヘッドライト、簡易テント、無線などを詰め、って最初から入っていたか。
全身、登山用の下着や衣類で装備。
いつものバックカントリー装備で町の中心方面へ向かって歩き始めた。
1時間ほどで避難所に到着。
停電以外、ガス、水道は通っていた岩手県滝沢地区だけど、結構な方が避難していた。
電気がないと暖を取れないかららしい。
お昼になっておにぎり一個の炊き出しが配られた。おいしい!
停電も長期にわたるか。長期戦を覚悟し、一度車を回収しに行く。
おお、停電の中、ラーメン屋がやってる!
早速駆け込む。ちょーありがたい!!
車回収。
ケータイは電池切れ。
まずは何もできない。
避難所はとても立派な「チャグチャグホール」
ずっと前、友人から薦められたことのある少女マンガ「生徒諸君!」を読む。
思い出すのも恥ずかしい、中高生時代がよみがえる。
なんか人生が走馬灯のように・・・みたい。
急に妻子がどうしているか不安になった。けど、なんともならない。
隣にいた3歳の女の子づれのお母さんは、だんなさんが自衛隊員で、被災地へ出動中のため、母子で非難しているとのこと。
遊びにきたら帰れなくなりました、と話すと、何やってるんですかと怒られた・・。
暗くなった。
おにぎりの炊き出し、一個。
おいしい。
暖かい避難所で寝た。
3月13日
一部盛岡市街などで停電復旧、GS再開するも長蛇の列との情報。
まずは歩いてGS探し。
スーパーが店の外で、電卓たたいて在庫を販売していた。
秋田まで帰るにしても、危険がある。食料などを1時間ならんで購入。
4時間くらい歩いた頃には停電復旧も拡大。
GSがいまから再開するとのこと。
急げ!
車を取りに30分走った。
走れるからだがありがたい!
それから2時間並んで千円分のガソリンを確保。
これを元に、盛岡市内のGSを周る。
並んでも売り切れで買えないという人もいる中、1時間ずつ並んで計3回給油してガソリン必要量を確保。
秋田へ迎える、はず。
田沢湖へ向かう国道46号線は通れるのか。
情報が得られない。
今は通れるとしても、走行中にがけ崩れやトンネル崩壊が起こらないとも限らない。
最悪山スキーで山を越えようか!?
避難所のスタッフにお礼をし、避難所を出ることを伝えてから、走り始めた。
結果、46号線は安全に通行できた。
多数の緊急車両や救援車両とすれ違った。
でも、僕は今は、家族の下に行き、自分の安全を確保することしか考えなかった。
午後7時、自宅到着。
妻子は自宅で元気にしていた。
さて、これから被災地の復旧に向け、自分に何ができるか・・。

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