1月5日の記事にコメントを書き込んでくださったともちん(^-^)さん、改めてありがとうございます。
昨日の夜、帰社時にともちん(^-^)さんにお会いしてきました。
ともちん(^-^)さんは私の知人で、どのような方なのかは個人情報保護の観点から本ブログでは事細かに紹介できないのですが、実は言うと、4年前、私が長岡に出向していたとき、仕事が休みのときに帰省したときに立ち寄った場所でともちん(^-^)さんを知り、私の思想面での良き恩師とも言えるような方です。
さて、表題にあるとおり、私がデジカメを購入した理由として一番大きなきっかけが、ともちん(^-^)さんの影響が著しく大きかったのも事実である。
私が学生時代〜20代までの頃は、人と会うことに対し、またどこかで会えるからと思っていたが、現実はそういうものではないということを30代に差し掛かる直前で認識させられた。
もう糸の切れた凧のような思いだけは絶対にしたくない、そういった意識が徐々に強くなってきていたのも事実であり、自分が見たもの、会得したものを綺麗な形で記録しておければ、という観点からハンドバッグ(*1)の片隅に入れておけるようなカメラを探していた。
しかしながら、そのときの思い出や経験は、何らかの形で残しておければ、と思うような意識が少しはあったものの、学生時代〜20代までの頃は、そういった意識に対して私自身消極的だったかもしれない。
言われてみると、10年前に出向した山形県小国町での思い出。
当時はやっとデジカメと呼べるような商品が登場した時期でもあるが、その頃のデジカメは今のデジカメ専用機及び、カメラ付き携帯と比較すると画素数が低く、印画紙に印刷して鑑賞すると言うレベルの写真は撮影できなかった。
それでも、山形にいたときの思い出の一部は、特別な行事があったときだけ、使い捨てカメラを購入して撮影したことがあるが、まだ私としても今ほど写真撮影には興味を感じなかった。
そして、時を経て、長岡へ出向の時期が来た。
改めて思ったが、こういった長期出向があると私自身心の拠り処を求めるようなところがあるらしく、大量に本を買い漁り、普段は読まないような感じの本までも買うこともあるが、それ以外にも、仕事が休みに入るときに普通に自宅に戻るのではなく、寄り道をしてから帰るような傾向があるかもしれない。
長岡へ出向になり、春を迎えて桜が散った頃、そのときに私が立ち寄ったところでともちん(^-^)さんを知った。
一緒に楽しみ、そして悩み、語らうようになり、その頃から自分が見たもの、会得したものを記録しておきたいという意識が非常に強くなってきたの事実である。
私自身がデジカメを購入した理由には色々なきっかけがあるが、そのうちの一つのきっかけを今回紹介した。
他にも、私自身にしてみれば小学生以来の20年ぶりの写真撮影再入門だったことと、いくら携帯電話のカメラの画素数が増えたとしても、技術的に難しい(*2)光学ズーム機能がデジカメ専用機ではたいていの機種で使えるなど、他にも色々きっかけがあるが、そのうちの一つとして、1月5日の記事にコメントを書き込んでくださったともちん(^-^)さんの件は最も大きなきっかけだったのは事実であり、今回コメントを書き込んでくださったことから私としても認識させられたのも事実である。
最後に、ともちん(^-^)さん、そしてこのブログをご覧になってくださっている私の友人、知人の方へ、今後も本ブログを宜しくお願い申し上げます。
試みの年になるかもしれない雰囲気、本ブログもそういった面でさまざまな試みを取り入れていきたいと思います。
*1:私が出かけるときに携行するハンドバッグだが、その主な内訳が財布、免許証、PDA、デジカメ、デジカメ用の予備のSDカード、カード型ラジオ、LEDライト、メモ帳、シャープペンシル、ボールペン。
ハンドバッグくらいの大きさに入るデジカメと言えば、ミノルタ(現コニカミノルタ)のDiMAGE Xシリーズ、富士写真フィルムのFinePix Zシリーズ、ニコンのCOOLPIX Sシリーズ、ソニーのCyberShot Tシリーズなどがあるが、私はミノルタ(現コニカミノルタ)のDiMAGE Xiを携行している。
*2:私が携帯電話のカメラで光学ズーム機能の搭載が難しいと認識している理由として、画像数値計算処理で行えるデジタルズームは搭載は容易であるとしても、これは倍率を上げると画質が大幅に劣化すると言う問題があるが、普通のデジカメ専用機のように画質の劣化のない光学ズームの搭載は光学系及びモーターなどの小型化、そして携帯電話であるが故、避けられない問題として消費電力の問題がある。