――自称「広島しか知らない田舎者」が、
悪夢の暗黒時代に沈んだタイガースを救うため、
甲子園に舞い降りた。それから6年――。
「もうそろそろ……」といわれながらも、
40歳の鉄人は衰え知らずに戦い続けている。――
卵形の輪郭に、つるっとした顔の造作。金本知憲はどことなくウルトラマンに似ている。
M78星雲から地球を救うためにやってきたウルトラマン。一方、金本は、「仁義なき戦い」の舞台にしてかつての根性野球の聖地・広島から関西に舞い降りた。暗黒の1990年代、最下位に沈んだ阪神タイガースを救うために、である。
ウルトラマンが地球にいられるのは3分間だけだ。カップラーメンに熱湯を注ぎフタを開ける間に敵を倒し、「シュワッチ」と天空に去らねばならない。だが金本は2003年以来6年、甲子園球場に君臨する。移籍後の阪神は優勝、4位、優勝、2位、3位とリーグ上位をキープ。そして今年、「OK牧場の決斗」のような巨人とのシビレる首位争い。暗黒時代は金本降臨とともに去ったのだ。
「ありがたい人や。彼の成績もそうやけど、他の選手たちに前向きな気持ちを植え付ける原動力になった。選手たちの練習のあり方も変わった」
と、『阪神タイガースの正体』の著書もある井上章一国際日本文化研究センター教授(53)。阪神時代の江夏豊を「わが青春」とし、「あのころの江夏を思い出すたびに胸が熱くなる」と記す長年の阪神ファンだ。金本に「わが青春」の思いを抱く若い虎ファンも、いるだろう。
■「アニキ」は末っ子
9月10日に出た金本の初の著書『覚悟のすすめ』は約3週間で15万部のベストセラー。清原和博、桑田真澄、野茂英雄と同世代が次々とユニホームを脱ぐ中で、著書の中には、なお活躍する彼の「モチベーションになっているのはやはり、『現状に満足したら終わり』という信念」等々、熱い言葉が満載だ。
「昨年、壮絶なトレーニングに取り組む金本さんのNHK特集を見て執筆を依頼しました。何度も会いましたがとにかく真面目な人。試合2時間前まで原稿のやり取りをした後に3安打したり。あの考え方、生き方はONに匹敵します」(角川書店の永井草二新書編集長)
一昨年は、1イニングも休まず試合に出続ける連続フルイニング出場の「世界記録」を樹立。今年は2000本安打、400号本塁打も達成した。
「大リーグ養成ギプス」のような鋼鉄の肉体を備えた鉄人、不死身のターミネーターである。07年、スポーツ誌のインタビューにこう答えている。
「(好きな音楽は)軍歌。あとは聴いても古い曲やな。昔の歌謡曲なんかは好きやな」
「本当の男らしさっちゅうもんは、女が持ってないタフさとか少々のことではめげないとか約束を守るとか、そういうことやと思う。雰囲気や外見だけじゃ本質はわからんよ」
甲子園で「男」を張る金本を語るとき、原点の広島時代は欠かせない。例の「アニキ」の呼び名も実は、
「広島カープ時代に地元テレビ局がすでに『金本アニイ』と呼んでいた」(広島在住の長年のカープファン、佐藤泰臣さん)
という。ちなみに彼は4人兄姉の末っ子だ。
■「ウサギ」清原と「亀」
広島生まれの広島育ち。小学生でリトルリーグに入ったものの1年で退部。高校野球の名門・広陵高校では通算20本塁打を放ったが、甲子園出場は叶わなかった。東京六大学のセレクションに落ち一浪して一般受験で東北福祉大学に。ここで才能を開花させ、大学選手権優勝も果たしたが、ドラフトではカープに4位の下位指名だった。
嘱望された前田智徳や江藤智はマンツーマンで鍛えられたが、そういう選手でもなかった。デビューの92年は5打席で3打数無安打2三振(1犠打、1四球)と寂しすぎる成績。
転機はプロ3年目、長い指導者歴を持つ山本一義が打撃コーチに就任したことという。いつクビになってもおかしくない危機感と、レギュラーになるためには何でもやるとの意気込みで、毎日の特打ち、夜間の素振りに取り組んだ。山本の言葉。
「金本……それから、落合(博満)だけだね。野球に関してどこまでも行きついてやるという意気込みを感じさせた選手は」
果敢にウエートトレーニングも取り入れ、走攻守三拍子を備えた選手に成長していった。
選手生活後半に極端な筋力トレーニングを始め、打者生命を縮めたとも言われる清原とは忍耐強さが違う。高校時代の金本は、稀に見る才能に恵まれたPL学園のスター清原のファンだった。金本は亀のように一歩一歩階段を上り、遥か先を走るウサギの清原にいつしか追いつき、追い越すようになる。
「金本は不器用なの。不器用なヤツは繰り返し繰り返し我慢強くやるじゃない。だから本物をつかみやすいわけよのお」(山本)
■「阪神移籍」という賭け
怪我で休んだらレギュラーを外される、と怪我を隠して試合に出続けた。当時の広島監督三村敏之からは「雑草は踏まれて強くなるが、お前はコンクリで固めても出てくる雑草だ」と言われた。
「常に『なんとかせんといけん、なんとかせんといけん』と考えている状態が僕にとっていい環境なんです」
という火事場の強さでカープ「最強の7番打者」、5番、そして4番に上りつめた。
そんな彼も、しかし、02年オフにFA権を行使した阪神移籍は大変な賭けだったろう。ダメ虎改造の意欲に燃える監督星野仙一(当時)がいくら、
「お前はオレと一緒にやる運命なんや」
と口説いたにしても、だ。いくら負けても観客が減らず、自虐的な愛情さえ見せる「世界一熱狂的な」阪神ファンのありようは、甲子園を球場というより何でもありの「祭りの場」に変える。高給を手に移籍し、活躍できなかったときの「しっぺ返し」は想像に難くない。
「(昔から)自分はあんまり目立っちゃいかんゆう(ところがある)。親のしつけもあるんじゃな。そこが金本の素敵なところでもあるんじゃが」(山本)
という金本には恐怖に近いものさえあったはずだ。
■心ない野次とプロ意識
「一種の宗教みたいですからね(笑い)。僕は開幕直後のスタートが悪いし、『お前もか』と言われそうですけど、阪神ファンには『お手柔らかに。長い目でお願いします』と言いたいです」
「プロになって今が一番プレッシャーがかかっているかもしれません」(03年シーズン前)
ご存じの人も多いと思うが、彼は日本国籍を取得した在日韓国人3世だ。強烈なプロ意識の根底にはおそらくこれがある。カープの主力として甲子園に乗り込んだ阪神戦で彼に心ない野次が飛んだのを、筆者は確認した。野次の中身はとても書く気になれない。
「移籍先でもカープの野球を見せたい」
FA権行使の記者会見でそう語った金本は言葉通り、カープの泥まみれのつなぐ野球を実践し、阪神を18年ぶりのリーグ優勝に導く。並みのタフネスではない。だがその彼にして、
「甲子園にはいろんなファンがいるわな。チームのファン、ある特定選手のファン、酒の肴になればええと思ってるファン……ありがたいんやけど、野次はきついの。ほんま堪えることがある」(05年のインタビュー)
と漏らすのだから、よほど圧力を感じるのだろう。
が、こう話すスポーツライターもいる。
「球界屈指の人気球団に来たことで老け込まず、潜在能力を最大限、引き出されている」
カープに残っていたらいまの活躍はなかったかもしれないのだ。それに、地方球団のカープではいくら活躍しても全国的に有名にはならなかったろう。逆に、そのカープから来た故、彼の阪神登場は新鮮な衝撃を世間に与えた。
■打席の中の眠狂四郎
真面目でおとなしい選手が多い阪神を「背中」で引っ張る。彼は確かにチームを変えた。
普段は気さくで酒をいくら飲んでも酔わない酒豪。大学時代から親しい「代打の神様」桧山進次郎は「かねもっちゃんは時には豪快なお酒も飲むけど、メリハリつけられるのが、これだけの偉大な数字(フルイニング出場記録)を残せた要因じゃないかな」と言っている。
打席でピタリと静止し、バット一閃の切れ味は眠狂四郎のようである。
「プロ野球選手かウルトラマンになる」
そんな希望を持った少年はいま夢を叶えた。
「(引退は)今までに一回も考えたことはないね。でも自分で辞めるか、辞めさせられるかということを実感し始めたら考えるかもしれない」(06年)
その実感は、ずっと先のことのように思える。

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