【カイロ福島良典】イラクで武装勢力に拘束されたとみられる日本人の斎藤昭彦さん(44)は昨年末まで21年半にわたり、勇猛果敢な精鋭部隊として知られるフランス軍の外国人部隊に所属していた。元上官の証言からは、バルカンからアフリカまで各地の紛争地を渡り歩いた「歴戦の兵」の素顔が浮かび上がる。だが、なぜ知己の多かった同部隊を後にし、民間軍事会社のセキュリティー・コンサルタントとして武装勢力の暗躍するイラクに向かったのか、転職の真意は謎に包まれている。
外国人部隊司令部によると、斎藤さんは83年6月に入隊。地中海に浮かぶコルシカ島を拠点とするエリート部隊の第2空てい連隊に配属され、4年後には伍長となった。その後の主な配属先は第3歩兵連隊(ギアナ)、太平洋連隊(タヒチ)など。地雷の敷設・除去の専門家、若手の訓練・教育係としても活躍したという。
昨年12月に外国人部隊を辞めるまでは南仏マルセイユの東約20キロのオーバーニュにある司令部で上級特務曹長として働いていた。「外国人部隊の中では非常に高い階級」(関係者)という。斎藤さんはフランス語が堪能だったことから、日本人の入隊志願者の面接通訳官も務めていたという。
同司令部で約2年間、斎藤さんの上官だったクリスチャン・ラスクル少佐(41)は毎日新聞の電話取材に「斎藤さんはアフリカやボスニア紛争などで戦闘作戦に加わった。外国人部隊は仏軍が参加するやや激しい作戦には常に投入される」と語り、斎藤さんの実戦経験が極めて豊富だったことを明らかにした。
外国人部隊での斎藤さんの人柄や仕事ぶりへの評価は極めて高い。ラスクル少佐は「兵士として、人間として非常に尊敬され、外国人部隊では傑出した人物として有名だった」「任務中も休暇中も規律正しく、彼がいなくなるのは残念だった」と振り返る。
外国人部隊は入隊後は原則として隊員の過去を問わない世界だ。ラスクル少佐は「残るも去るも個人の意思」という。適性がないと見なされた場合には5年間の契約が更新されない場合もあるが、「斎藤さんの場合は評価が高かったので続けられたが、個人の意思で辞めた」という。
昨年末に部隊を去ったことについて同少佐は「新しい生活を始めようとして辞めたのでは。独身だった斎藤さんが家庭を持つためではないかと想像した」というが、「理由は議論しなかった」。斎藤さんが「控えめで、自らの将来などについておしゃべりでなかった」こともあり、イラク行きについて語るのを耳にしたことはなかったという。
元同僚だった斎藤さんが「イラクで拘束され、負傷している」とのニュースは司令部で瞬く間に広がった。ラスクル少佐は「外国人部隊には斎藤さんの友人が大勢いる。彼の運命はすでに部隊、フランスの手を離れてしまっているが、皆が無事に解放されることを祈っている」と話している。
【ことば】仏軍外国人部隊 外国人兵士で構成された特殊部隊。仏陸軍に所属する。創設は1831年。第二次大戦後はインドシナ戦争、アルジェリア戦争、湾岸戦争などに投入された。現在の兵員は約7600人。うち日本人は約40人。入隊試験は数週間に及び競争率は約8倍。1回の契約は5年間で、数回の更新が可能。

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