明けましておめでとう御座います。
去年は私の作品に対して2つ反応を頂きました。一つは執筆中の「
五輪書を解説する」に対するコメントを掲示板から頂きました。これから良き対話が出来るのではと楽しみにしております。
本日ご紹介するのは拙著「
必殺柳生新陰流 悲剣一刀両段」に対して頂いたコメントです。いや、嬉しいお言葉でした。
『思わず泣いてしまいました。読んだ後は胸を抉られた気がしてしばらく放心状態でした。
二人が対峙する場面には息が詰まりました。「信じられるか!お前の何もかも!」と云われて流した鈴の涙は胸に痛い。そしてこのシーンの一言一言は重い。鈴、大祐、市兵衛、それぞれがそれぞれの信念で生き抜こうとする様は心を打ちます。義や信という信念が存在したいい時代ですね。大好きです。
大祐のまっすぐな武骨さと鈴の可憐さが愛おしくてたまりません。
過去がある少年って大好きなので今は亡き鈴の念者がいい味出し過ぎて困ります。
それにしても大祐はいい男すぎますね、これは鈴でなくとも惚れるでしょう。
「二人の兄様・・・いけない鈴です」は名セリフ過ぎです。鈴の小悪魔的矜持がたまりません。美少年っていいなぁ…生涯忘れないでしょう。
二人には来世で幸せになって欲しいものです。』
この読者様に絶賛して頂いた場面は、沼田藩真田家の圧政を直訴するために江戸に旅立とうとする庄屋・市兵衛(実在)を斬って止めようとする塚本大祐(塚本家は藩主・真田信利の暴虐を支援した実在の家老の家。大祐はその嫡男)と幕府から命を受けて偵察に来た旗本・柳生家の庶子、鈴太郎の争いの場面です。
大祐と鈴太郎は衆道の契りを交わした仲ですが、お互いの『義』のために、同じ新陰流の極意を駆使して殺し合わなければならなくなりました。当時の直訴は聞き入れられても、一家磔獄門(はりつけごくもん:磔の刑にされ首を晒されるという刑)となります。まさに死を賭けた3人の男の戦いです。
『一刀両段』は禅語でして、「碧巌録」という臨済宗の問答に出てきます。正確には『一刀両段、偏把(へんぱ)に任す』ということで、生死に関わる判断をも瞬時にする、という意味と私は解釈しています。
このクライマックスに持っていくまでのストーリ作りは極めて困難であり、またやりがいのあるものでした。そして読者の一人でも唸らせられれば、物書きの法悦と言うものです。
素敵な読者様に感謝です。

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