衆道小説の読みどころ「悲剣 一刀両段」 講話の顛末@染谷教授の授業
平成30年7月13日に青学で行われた染谷教授(以下、ソメヤン先生)の授業で話した内容です。
ソメヤン先生に「なぜ衆道小説を書くようになったのか話して欲しい」と若衆文化研究会で言われた時は仰天しました。日本文学を専攻している学生の前で、エセ物書きの話を!?しかも私の講話のために事前に拙著「悲剣 一刀両段(ひけん いっとうりょうだん)」を読むことを学生に勧めてくれました。
小説のリンク:
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6914570
私がなぜ衆道小説を書くようになったのかを話すのに、前提として私の方法論について話したいと思いました。何故ならその方法論があってこそ、小説を書くことが出来たからです。さらに、自分で書いている小説が面白いと思わなければ書くことは出来ません。というわけで、私のエッセンスがふんだんに入っている、この作品をもとにして話したい、と私からお願いしたのです。多分、先生のはじめの思惑とは違っていたとは思いますが、先生は快くお許しになりました。何を話すか分からない男にそうさせるとは、本当に型破りな教師です。先生には博打打ちの気性があると思います。また、反面、プロでもない私の話にあまり期待されていなかったのではないかと(密かに)思いました。
そう考えたので(思い違いでも)私は「やる気」になりました。20前後の学生が池波正太郎とか司馬遼などに親しむことはあまりないでしょう。しかし、日本文学を専攻する若者たちです。専門家の卵です。まともに文学を学んだことのない私が、歴史あるいは時代小説の真髄を話してハナをあかしたい!と思ったのです(笑)。
そこで、我が小説の「読みどころ」をとことん説明しようと考えました。何故なら、学生からすれば、強制的に、どこの馬の骨が書いたか分からない小説を読まされるのです。私だって学生の立場ならまともに時間を取らないでしょう。そういう”洞察”(単なる憶測ですね)から、購読本として読まされた小説の、「見落としてしまいがちでまた行間にある読みどころ」を解説してやろうと思いました。学生がどこまで読み込んでいるのか、学生との戦いと(手前勝手な)挑戦です。
しかし授業では、挑戦的な態度はお首にも見せず、まず自己紹介をちらとしました。自分であとから読んでも「変なオヤジ」と思われても仕方なしです。
そして小説の時代背景です。これがなくては主人公たちの切迫した事情がわかりません。
私は歴史上の事績をもとにして、記録にない部分を創作で埋めていきます。その骨組みとなったのは、上のスライドにある沼田藩初代藩主・真田信利(のぶとし)の時代、@信利とその側近達による悪政、とA江戸に降った大雨のために流された両国橋の木材の普請の失敗、の事実です。その結果、B沼田藩は農民の幕府への直訴によりお取り潰しになり、C直訴した百姓とその一家は磔獄門、となっています。拙著はその前夜の物語であります。
私はこの沼田藩の最期の予兆の刻(とき)に2人の若者を置きました。
一人は二十歳の塚本大佑(つかもとだいすけ)。父親の塚本舎人(とねり)は沼田藩主真田信利の筆頭家老で、悪政の頂点にある男です。もう一人は鈴太郎(すずたろう。以下鈴)という15,6歳のまだ大人になる前の幼さを肉体に宿した美少年です。そうです。腐男子・腐女子ならすぐぴんと来ますね!2人は同じ柳生新陰流の道場で研鑽するうちに、序盤でお互い気になる、中盤で好き合いプラトニックな契(ちぎり)を結ぶというBL小説の王道です。
鈴は江戸で本家の新陰流を学んでいて、ある時、沼田で新陰流の道場をやっている「叔父」を訪ねて来たという設定です。大祐と鈴は、道場主の命で新陰流の組太刀の一つである「一刀両段」という技で手合わせをします。その演武の結果、鈴の剣の腕は相当のものである、ということが描かれます。大祐は美しい鈴に惹かれながらも、修行の邪魔!と自己否定をします。これも王道ですね・・・
この時、私はTVで昔、放映された、名古屋に現存する柳生新陰流剣術の宗家が演じたビデオを学生に見せました。「一刀両段」がどういう技か学生の頭に入れるためです。実物をビデオで見せられ技も解説するなんて、学生たちも驚いたのではないでしょうか?この放送は名古屋で地域放送局が制作したもので、Youtubeにもありません。ので、他のリンクを紹介します。開始から1分30秒頃に始まる組太刀です。後でこの組太刀の名前の由来と意味を考えます。(削除されたらごめんなさい)
https://www.youtube.com/watch?v=zn-p19C8MAQ&t=41s
* * *
一人で授業前に話すシミュレーションをすると、与えられた40分という時間で終わりそうもないので、下のようなあんちょこを作りました。アドリブでやると話があちこちに飛んでしまうからです・・・しかし結果は、1時間超えでした。ソメヤン先生ゴメンなさい!
体も大きくすでに剣術の達人に達した大祐は、小説の序盤で教えを乞うてきた鈴を、鈴に惹かれる自分に怒りを感じ、手加減せずにこっぴどい目に合わせてしまいます。しかしその後、鈴が江戸にいる時に懇ろになった念者(衆道の兄:つまりBL用語で言う「攻め」)と心中を図り、お互いに切り結び合い、兄は死に鈴は九死に一生を得たことが分かります。江戸にいたたまれず、悲しい想いで沼田に逃げてきた一途な鈴に、大祐はぞっこん惚れてしまいます。
あんちょこの「6.童女殺害」という大事件がその時起こります。起承転結の「転」でしょうか。大佑の父の舎人が、江戸商人と契約した材木の数が一向に上がらないと怒りに任せ、馬の前を通った童女を斬り殺してしまいます。これは史実ですが、記録では藩主の信利が行った蛮行です。しかしここでは同じ様な暴虐を舎人もやったことにしました。舎人は怯えて逃げ帰り、屋敷に閉じこもってしまいます。一方、百姓はその土地の庄屋の家に武器を持ってぞくぞくと集まって来ます。そうです。一揆です。一揆が起きたら百姓も大名も幕府に咎められただでは済みません。
鈴の部屋で茶などを飲み歓談していた大祐はそれを聞き、家に駆けつけますが鈴は側を離れず付いていきます。大祐は馬を引き出させ現場の村に急行します。
材木の寄せ場がある村に、大佑、鈴、そして勇敢な下人の3人は到着します。百姓たちは青竹を斜めに切った竹槍を突き出して彼らを囲みます。大祐は百姓たちに父の代わりに弔いに来たことを告げます。私は百姓の心情は敢えて書きませんでした。子供を殺しておいて、張本人の親の代わりに弔いに来たなど、常識ではあり得ないことです。百姓達は戦意を見せない大佑に何を見たのでしょうか?
多分、ある読者は百姓達の心に立ち入って色々考えるのではないでしょうか?小説の自動的な醸成とでも呼びましょうか。
大佑達は庄屋の市兵衛の屋敷に導かれます。市兵衛は実在の人物の松井市兵衛がモデルです。童女は市兵衛の孫だったという設定です。大祐は童女の死骸を前に父の行ったことを心から悔やみます。そして百姓達の状態が限界に近づいているということを悟ります。大祐は翌朝、無事に市兵衛の家を出ますが、市兵衛はこう言います。「百姓は土地に居着くもの」。つまり領主は誰がなっても良い、という意味ですね。大祐はこの時は聞き流して帰途に付きます。小説でも伏線となっていることはお気づきと思います。
無事に戻った大祐と鈴は気が緩んだせいかお互いに性欲の疼きを感じます。ここでようやく衆道文学の面目を果たします・・・以下略・・・
翌日の夜、仲睦まじく食事を取る二人。その時、家人が百姓らしきものが手紙を大佑に寄越したと渡します。それが次のスライドの文章です。私はしろうとなりに擬古体の文章が好きでよく書いてしまいます。専門家にはなんだこりゃ?と思われるかも知れません。この様な自作の手紙や小唄などを挿れるわけは、やはり話の流れにアクセントを付けたい、登場人物の心情をセンスよく表現したいという想いからです。
スライドでは手紙の差出人を「松井市兵衛」と書いてありますが、小説では勿論書いてません。でも分かりますよね。死を賭して弔いに来た大佑への称賛と礼、そして「明朝発つ」ことを知らせてあります。最後に「狂夫」とあります。用例としては、幕末に勝海舟が不甲斐ない幕閣に諫言状を認(したた)めた時に「狂夫」と書いてます。狂人のように怒り狂っている、とここでは理解したほうが良いでしょう。
また、私は出発を知らせるだけではちょっと物足りませんでした。何かかっこいいしめくくりの文言はないか?と探しました。単なる手紙ではなく、その人の人生観とか人となりを入れてみたいではありませんか?そこでひねり出したのが文面の最後の2行です。自分でも何のことか分からない言葉になりましたが、実は次のスライドの英語の歌から取ってきたものなのです。
ウエストコーストのロックバンドで、一世を風靡したイーグルスのアルバム「デスパラード」に入っている曲の歌詞の一部を無理やり・・・訳したものでした。”人間はどのみち死ぬ、これは冷たい石がそこにあるのと同じだよ”という普遍的な事実を歌ったものです。
ここで私は学生たちにこの詩の部分の曲だけ収録したMP3ファイルを再生し聴かせました。アルバム"Desperado"の内の一曲、"Doolin-Dalton"の一節です。現在ある文章は過去のコンテキスト(文脈)から発していると仰られた先生がいます。私はイーグルスの曲と歌詞にかなり影響を受けているのです。
学生達に、作家としての私の頭の中の「混沌とさまざまな経験からの影響」を示そうと考えてビデオの次に音楽を聴かせたのです。こういうぐちゃぐちゃしたカオスからうまく物語の繊維を紡ぐ、これは物書きの本領であります。
ご参考にその歌詞が含まれる曲のYoutubeです。1分20秒あたりを聴いてください。(削除されていたら済みません)
https://www.youtube.com/watch?v=k8TigipC8dY
閑話休題。この文(ふみ)を読んだ大祐はすぐさま出かけようとします。それを止める鈴。しかしこの瞬間、二人の心の間に亀裂が走ります。大佑がどこに向かうか、鈴はなぜそれを止めようとするのか、ここでは語られません。鈴も大介に付いて行きますが、大佑の味方になるのかもはっきりしていません。読者も感が良い人は彼らの行動の理由は分かると思います。ただ、明確ではないのでもやもやした気分が残るでしょう。次の場面はどうなるのか?とページをめくって頂ければ「小説家の思惑」通りです。
物語が終焉を迎える前にもう一度閑話が入ります。講話ではこのスライドは後に回しましたが、この稿ではスライドの順番で説明します。「一刀両段」という言葉の出処を示しています。
禅の公案集である「碧巌録」という書物に載っている話です。
概要は、ある日、南泉という禅の高僧が境内に入ると東西の堂で修行する僧たちが猫の子を取り合いしていた。喧嘩寸前だったのでしょう。日本でも大きな寺院には東金堂、西金堂などと必ず東西にお堂があり、それぞれそこで修行する僧たちが居たと思います。
南泉は子猫を取り上げてこう言います。『何かいえ(『道え』と書きます。禅の問答を発案せよという意味でしょうか?)!道わねばこの猫を斬ってしまうぞ!』多分、気がきいたことを言った者の側にこの猫を与えるという意味でしょう。この考案というしろもの、「寸止め」満載です!
しかし誰も何も南泉に応えなかった。「臨済録」という書物を読むと、下手なことを言うと却って殴られたりします。
しばしの沈黙の後、南泉はこの猫の子を二つに斬って双方に与えた、というものです。この話を考案の頌(じゅ)では「一刀両段偏頗(へんぱ)に任す」と称しています。
剣術の方に戻ると、柳生新陰流の流祖の上泉伊勢守がある技に「一刀両段」と名付けました。それがビデオで見た技です。この剣術の技は使太刀(その技で勝つことを習う側)が打太刀(使太刀を攻めて正しい技で勝つことを教える側)に、頭を無防備に晒します。組太刀は達人が試合をしたという想定のシミュレーションと考えられます。頭を晒すということは、打太刀は上段からまっすぐ撃つことが使太刀を斃(たお)すために最上の索となります。打太刀が打ち掛かり、白刃が使太刀の頭に打ち下ろされる手前で、ようやく使太刀は竹刀を上段に振り上げます。
普通の人は先に竹刀を振り下ろしたほうが勝つだろうと思うでしょうが、得物を持った闘争術は遅れて動いたほうが勝つ技が多いのです。それは相手が勝った!と考える一瞬、竹刀を「止めること」が出来なくなった状態を利用します。打太刀の竹刀が頭の上に来た時に使太刀は上段から振り下ろし始めますので、真剣の場合、刀の鍔が盾になります。傍目から見ると、使太刀の竹刀または刀が相手のそれの上から乗って無力化し、切っ先が打太刀の頭を両断するように見えます。
この技の恐ろしいことは敵の白刃が間近に迫っている時に、平然とやるべきことをしろ、と教えるところです。
この禅語と剣術の技から何を言いたいのかと言いますと、私の考えでは、「行為を行うということは時間的に非可逆である。何も為さなければ何も起こらない。生死を掛けた瞬間に行為を行うことを判断することが出来るのか?」という質問をしているように見えます。剣術はどんなふうに敵が襲いかかってきても無意識に、平然と対応することを日夜研鑽しています。新陰流の最初のこの技はそういうことを教えてくれていると思います。両段は「天地を分ける」という意味と注釈には書かれていますが、勿論、この考案では猫の『生死』であり、決闘では敵味方の『生死』です。
さて、小説の流れに戻ります。
大佑と鈴の二騎は国境の峠の道に到着します。
そしてまだ暗闇が支配するなか、二人は小袖に襷(たすき)を掛け刀のチェックをします。何も話しません。お互いに目を見ることもしなかったでしょう。そういう雰囲気を小説では数行で描いたつもりです。
はたして朝もやの中を松井市兵衛はやってきます。
市兵衛は大佑を見て微笑みます。大佑は自分が江戸に発つことを知り、ここまでやってきた。見送りに来るわけはありません。そんな大佑を市兵衛は親近感を持ったのです。自分の『義』を持つ人であると。「微笑んだ」ことを読み込むことが重要なのですね。『読み込む』とはその場の状況を背景として頭の後ろに残すことです。
大祐は言います。直訴は御法度。成功しても一族もろとも磔獄門の刑になると。
市兵衛は言います。私は肝煎り(庄屋)の仕事をしなければなりません。
大祐は大刀の鯉口を切ります(刀を抜く準備です)。大祐は沼田一の剣の使い手。市兵衛は絶体絶命です。
そのとき市兵衛の前に出てきた者がいます。鈴です。
鈴太郎は市兵衛を守るように大佑と対峙します。
そこには、市兵衛の庄屋としての義、磔獄門を覚悟している市兵衛を行かせようとする人としての義、沼田藩を守ろうとする武士としての大佑の義。三つの義がそこにあります。どれも間違っていない。ただ、二つと一つは相容れないのです。
対峙した二人にとって 刀を腰に差してお互いを正面から見るということは、多分初めてだったのでしょう。愛し合っているものが刀を差して向き合うことは余りないと思います。・・・「でしょう」だと?お前はこれを書いている小説家だろう、と言われるかも知れませんが、私は小説家であると同時に読者でもあるのです。自分が書いてないことは私自身でも色々なオプションを考えてしまいます。
ここで大祐から初めて鈴の姓が明らかにされます。「柳生鈴太郎殿」と。
この小説の頭では鈴の姓を私は書きませんでした。新陰流の道場主が「叔父」という触れ込みでしたのでその姓を名乗ったのかも知れません。はたまた最初から「柳生」と名乗った可能性もあります。ただ、柳生の名前を聞けば門弟や藩内でも騒ぎがあったでしょう。
私はここで、大佑に「鈴の姓は柳生」であることを言わしめます。お気づきのようにこれは読者へのメッセージです。その説明のために2つ目のスライドの下に2つ家紋を表示しました。当時の柳生家の家紋は左の「二蓋笠(にがいがさ)」と言われる2つの傘の紋です。小説では鈴の鍔は表に、右の紋「地楡(ちゆ)に雀」が彫ってあったのです。ここも台詞と鈴の動作しか書いてありません。
実は「地楡に雀」は柳生家の古い家紋だったのです。五味康祐氏の小説によって、柳生=幕府の隠密 という図式が時代小説の世界にはあります。なぜなら江戸で天下の指南役となった柳生宗矩は、目付けという諸藩の監視役を担うのと同時に自分の門下生を各藩の指南役として仕官させます。
大祐はそれで市兵衛を庇う鈴を隠密と断定します。スライドに小説の一部を抜粋しました。ついでに私のこの場面のイメージの鈴の下手なイラストを描いてます。
次のスライドを御覧ください。
騙された!と考えた大佑の怒りは大きく、鈴もろとも市兵衛を斬ろうとします。鈴は涙を流しながら言います。
「市兵衛殿をお斬りになれば人の道に反します。どうか思いとどまり下さい!そうして頂けるなら、この後、どのような事が起ころうとも、私は貴方のお側にお仕えし、貴方のために一生尽くします!」
・・・この台詞、私の”萌(もえ)”部分です。最後に紹介する私の最初の小説「前田慶次郎異聞」でも使いました。美しい者が自分を餌にして相手に打算の判断を促します。でもその心は打算ではない。こんなシチュエーション、遭遇したいものです。学生さんの一人が後で出してもらった感想でこの萌に共感を示してくれました。
しかし堅物の大佑。藩を想う真の武士は、
「儂は人である前に沼田藩の禄をはむ者だ」
嗚呼!
終章。
ついに二人はお互いの義を賭けて斬り合います。少し前までは仲睦まじい衆道の兄弟だったのに。切り結ぶ技を最初に二人が竹刀で演武した「一刀両段」としました。打太刀、使太刀の役割は同じですが、教える側、教えられる側の区別はありません。
二人が斬り込む姿の詳細は書きませんでした。流石に書けなかったのです。結果は、鈴は片腕を落とされ崩れ落ちます。それを抱き込むように胡座(あぐら)に座る大佑。
瀕死の鈴と大祐は愛し合った義兄弟に戻っていました。
今生の別れ。大祐は後ろで鈴を拝む市兵衛に言います。行けと。驚く市兵衛。大祐は言います。生きるも死ぬも、・・・道標の石の如くと。
「一刀両段」は最初と最後だけではなく中盤にも出てくるよ、ということも蛇足ですが話しました。大佑が父の童女殺害を知って、自分が弔いに行く!と決断した瞬間ですね。
講話の最後の方には私は講話の時間を顧みることなく調子に乗って話していました。まるで講談師のように。でもこれが学生達に眠気を誘わず、聞き取りやすい方法であったと自負しております。一部の学生さんからは「小説のレベルが高い」、「普段考えつかない視点から見れた」、「書かない部分と書く部分の工夫がよくわかった」という嬉しいコメントを頂きました。
時間がなくなって早足に自分の最初の小説「前田慶次郎異聞」の紹介をしました。
これを書くようになった理由を話すのが、もともとの染谷先生のご意向だったのですが、講話を自分流に「染めて」しまいました。
私が小説を書くようになった理由は、
・企業戦士だった毎日に疲れ、一幅の安寧を欲した。「企業戦士」とは現在制限されつつある残業を平気で100時間とか200時間こなしていた時分の言葉で、知らない学生もいるだろうと染谷先生は仰っていました。
・好きな歴史小説の中に、剣、恋を入れたかった。その頃の時代小説やTVの時代劇の「チャンバラ」に飽きて、もっとリアルな表現を入れたかった。また、ともに戦いともに死ぬ、という今生の恋を書きたかった。それで恋人を女性ではなく戦場に行ける少年にしました。若い頃、萩尾望都先生の漫画に嵌ったぐらいなので今で言う「腐男子」の素質があったのですね。
「衆道小説」という言葉はそのころ全く無かったので、今回、西鶴研究の染谷先生から頂いたお題を見て最初、面食らったということも白状しておきます。
使ったスライドは、まだ「衆道のタイプにかんする私感」などありましたが、ここでは割愛します。最後のスライドは「前田慶次郎異聞」の主人公、刺客「りん」が慶次郎に肩口を斬られ、死を覚悟した場面のイメージです。「一刀両段」の鈴も同じところに傷がありました・・・
私は「りん」という名前の響きが好きで、鈴太郎(すずたろう)の鈴に掛けています。
無事に語り合えた時、時間を大幅に超過してました。染谷先生と他に話す時間を持っていた坂東先生にはお詫びを申し上げます。またこのような得難い機会を与えて頂いた染谷先生に感謝します。用意した「なんちゃって物書きなんでお恥ずかしい話しで恥の書捨て」という笑止のオチで終わりました。
了

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