8月3日に若衆文化研究会主催の「男色大鑑(なんしょくおおかがみ)祭」の
初回に参加してきました。
日本文学史上はじめての、西鶴研究者、現在活躍するBL漫画家、出版編集者の連合軍が発起した画期的な活動です。
今までその作品のテーマから多くを語られていない天才作家・井原西鶴の酸いも甘いも吸い尽くす貪欲な連合軍です。
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「男色」を誤解するなかれ。発音しにくい方々は「
なんしょく」と言い揃えれば無理解者にはわからないであろう。水上勉は逆に相当嫌っていた様で「だんじき」と読ませている。
私の考えを明確にしておきます。
「男色」は言葉上は男同士のの恋愛を意味するが、西鶴の場合、また「我々」が論じる時はそれだけではありません。
ヘテロ(異種間の)な「好色」ではある意味において存在出来ない気位、嫉妬、軽蔑、支配、服従、無私、純粋な恋路、契の世界なのである。
これは物書きをはじめる前の「企業戦士であった私」の見果てぬ夢でした。ソメヤン先生が仰られたように、アッシェンバッハとなりたかった。(ここは先生とばっちり相性がよいですな)
勿論、この世には遺伝子としては男女の2種しかいないので、薔薇に対し百合の話もありうると思うが、歴史上、女性同士での「命を掛けた」「壮烈・凄烈」な例を私は知らない(普通の恋愛は勿論あるのだが・・・)。しかし男同士ではこれ、『異常な』例が数限りなく記録されているのである。
これは代々命をつなぐ意味での「非/無生産性」を前提にして、男子の幼体は男女の両方を持つとされる人間の歴史的な誤認識(?)のお陰かも知れない。
私が考える「大鏡」の中の最も傑作と言えるストーリーが「傘持つても濡るる身」である。
しかしお恥ずかしい話だが、私は「大鏡」の全話を原文で読んだことがなかった!今回、「岩波であったよな・・・」と探して持っていたのは「武道伝来記」、「好色二代男」の原文活字の文庫本のみ!
南條範夫先生の「衆道伝来記」(『傘持つて』の翻刻)で興味を懐き(2004年に
こんなことを書いてました)、どこからか原文を読み、十数年の間(ま)を経て大竹先生のコミカライズに巡り合った。その間、「小輪」の潔(いさぎよ)き人生を標榜した自作の小説「
小輪」を書いたりした。
「祭」での3人の先生方の講話もこれまた天下一品でした!(順序不同)
*研究者も仰天するほどの、大竹先生のこの作品の読み込みと、最も作家が大切にする「書かれていない部分」の理解を聴かせて頂き、天にも登る気持ちでした。私が染谷先生の授業で拙著「
一刀両段」の「書かれていない部分」を説明出来たのはめったにある機会ではありません。大竹先生の様な読者が現れて西鶴先生、にやり!としていること請け合いです。小輪と殿の交合の体位まで明らかにするとは、文学を超越しています。
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また早川先生の「花の盛りでの死こそ本望」に語られた「契と死」の関係は、まさに私が拙著「前田慶次郎異聞」に書き込んだ美少年「りん」の生き方そのものではないですか!
読者に「りんて、すぐ死のうとするんだね?」と言われたことがありますが、確かにそういうシチュエーションをたくさん描きました。りんは自分が『花の盛り』とは思っていませんが、念者に主(あるじ)を裏切らせるほど、惚れられたということで小説ではそれを担保しております。この小説の執筆時では私自体が『若衆』との契は意識していなかったせいもあります。
刺客であったりんは自分の犯した罪を常に意識し、機会あればそれを償おうとします。小吉との契もある意味恋愛ではないと思います。自分に惚れ、瀕死の傷から救ってくれて、すべてを受け入れてくれる慈愛の男(念者)に、今生の命を捧げるという「阿修羅の契」なのです。
興福寺の阿修羅像のインドの土着神アスラはかつて帝釈天と争い、仏法の教えを邪魔しようとしました。その姿は『金光明最勝王経』の世界の中で、その罪を天上の金鼓(こんく)の音(ね)が消し去る時の
懺悔と仏法への帰依の表情を顕(あらわ)したと言われます。まさにその阿修羅が肉体を持ったのがりんという少年です。邂逅とも言えるワカシュケンとの出会いで私の本を読んで頂けるという方にもお会いしました。涙涙です・・・
*畑中先生の「一道先生」への着目はこれからの西鶴の作品研究の鍵になるかも知れません。確かに、不思議で多くは語られない登場人物ですが、その目線はすべての作品に置かれているような気がします。西鶴の別の人生の象徴(再度、アッシェンバッハみたいな)なのかも知れません。T.マンよ、お主西鶴を読んだだろ!?
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このワカシュケンの特徴は、これまで書いたように、西鶴という作家が作品だけ我々に突きつけて「
理解できへんのか!?お前ら、カスやな!」と言っていたところを、読み込んで読み込んで調べて調べて、BL/やおいで培った腐った洞察力と何ものをも見逃すまいとする
傍観者、覗き屋、妄想家、不毛な愛の殉教者、なんちゃって物書き、描画家、主腐(男女とも)、希望に満ち満ちた学生さん、民族的反目からの解放者、歴史観への巡礼者、恋愛の放蕩者、金魚鉢の金魚、井の中の蛙、詭弁家等々、ありとあらゆる感性が西鶴のまたそういった鱗を剥がそうとしているのです(この文章は、長さでは稲垣足穂先生調、羅列ではPinkFloydのWish You Were Hereの詩からのインスピレーションです)。
興奮のあまりに乱筆駄文となりました。
狂夫
お宝!お宝!大竹先生!無断転載済みません!不都合なら消します!


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