黒沢監督の「七人の侍」の冒頭で、子供を人質に取って納屋に籠城した盗人を、志村喬扮する武士が僧形となり、機略をもってそれを捕らえるというエピソードが出てくるが、それは実際に妙興寺で新陰流の流祖、上泉伊勢守が行った事跡を基にしている。
今年六月に妙興寺にて伊勢守の供養があり柳生新陰流の奉納演武があった。
その情景を愛知県の情報発信サイト「
まちもよう」が
写真で紹介している。
驚くことに演武を方丈と呼ばれる砂庭の上で行っていることだ。
これは常につま先立って戦う現代剣道では至難の業である。
この秘密は拙著「
五輪書の技を解説する」を読んで頂ければ納得が出来ると思う。少なくとも新陰流ならびに宮本武蔵が行った剣術(円明流、後に二天一流)では、「つま先立たない」「飛ばない」「片足だけを前にして戦わない」という古武道の「常識」を修行しているからだ。
武蔵は五輪書で「つま先を上に反らして土踏まずを踏む」と言っている。それを現実に新陰流の稽古や演武で見ることが出来る。
五輪書の「水之巻 第五節 足使ひの事」に書いてあることがそのまま実行されていると思われる。つまりつま先立つことなく、足の裏を満遍なく踏み、歩くように剣を振るという身勢法である。その場合、足の指を上に反らすことを教えていますが、これはまさに砂上のように足場の悪いところでも戦うための戦法である。
すなわち、仮説として、五輪書に書いてあることが本来口伝のみで伝えられる古武道の「常識」であり、そのころの武道ではそれが廃れてきたので武蔵はそれを書き残したと考えられないだろうか?

0