拙著「前田慶次郎異聞」に大いに関係有る上杉景勝と直江兼続の物語「天地人」は興味深く見ています。
おまけに上杉家は、主人公りんが振るう柳生新陰流の流祖の末裔、上泉家が仕えた家でもあり、現在尾張柳生家と米沢の上泉家の交流があると言います。
常に上杉謙信が出るドラマを見ていて思うのですが、謙信の「義」を民百姓を守る義として描くドグマ(教条)がありますね。
戦国大名の「義」とは現在の平和主義の意味とは全く違います。少なくとも隣国の民百姓は謙信の軍団から見れば略奪・人狩りの対象だったはずです。
あまり正しい歴史観ではありません。
信長の石山本願寺への挑戦も、信長に「堕落した坊主ども」と言わしめていますが、この時代、石山本願寺は一つの「国」であり、僧兵を中心にした武士団、商業都市、船団を擁していた一大勢力だったのです。世界に類を見ない理想郷だった可能性があります。
それが既存勢力の戦国大名を倒してきた信長にとっては、次ぎに破壊すべき目標となったのです。
つまり石山本願寺、比叡山などと共存しようとする旧勢力の大名と信長は、全く次元の違う考え方をしていたことが良く分かります。
「義」とは考え方、イデオロギーの一つの形であったと思います。

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