このサイトで政治の批判を書きたくは無いのですが、余興として書きましょう。タイトルの言葉は新撰組の近藤勇の言葉です。
一方では武士では無かったと言われる近藤にこう言わしめたのは、よほど当時の幕府の中枢に無能力人間しか居なかったのでしょう。
日本人は言葉の上で「あいつは侍だ」と言いますが、別に「侍」が偉いわけではありません。その時々に応じて時代を変えて行く役割を正に演じられるという能力を持つ人間が、後代に人類の誉れと見なされるのです。
今の政治も幕末のような状況でしょうか?政治家としてふんぞり返るノウハウのみを持った連中を我々は選んでいる様です。
柳生宗矩は「新陰流兵法家伝書」の中で、「状況を見て居るべき所には居る、居てはならないところには居ない」というのが兵法である、と言い切っています。また、「近しい少数の者達が遠くの多数の者達の為にならない事をする。これを見切るのは君子の兵法である」とも言っています。
心やましいことをするなとは当たり前の事ですが、今の政治家は「機を見る」ことさえも出来ない馬鹿が多いとしか言いようがありません。
利権者が揃っている様な宴会へ顔を出す。冷静になって考えればすぐ分かる事です。「僕ちゃん、会議や挨拶で毎日がとても忙しいから誰か言ってくれないとわからないのよ〜ん」と言うのが彼らの言い分でしょうか。国民を奴隷化し国盗人の金親子にさえも「知力」で負けています。
また公開の場で嘘を付く。「知らない」とか「あいつのせいだ」というのは嘘と同じです。自分がそれほどの責任を負っていたのかまるで自覚がない。切腹させてやりたくなったのは私だけでしょうか?こんな連中に真の「知」があるとは思えません。切腹など出来ないでしょうからやはり「縛り首」ですな。
こんな連中が蔓延する時、戦争になったら誰が我々を守ってくれると思いますか?
北朝鮮と戦争をしてもチャウシェスク政権のルーマニアと同じように国民が疲弊した国に負けないだろうと思っていましたが、これでは危うい。今の政治家の殆どは徳川慶喜のように尻尾を巻いて戦場離脱するのは必定でしょう。

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