NHKプロジェクトXの「たたら製鉄 復活の炎」を見ました。
近代たたらの復活もさることながら、男達の「目」にまた感動しました。あんな目を私はしたことがあるのだらうか。(小説を書いているときどんな顔をしてるかって!?)以前、同番組で「国境無き医師団」の男達の「顔」に惚れ込みました。やはり信念のある人の顔は違う。
鉄の神様金屋古命を奉る神社に参るのは、古代からの「記憶」が為せることでしょうか。神道がどうのと言う勿れ。また神仏に頼るということでもない。多分、自分の信念を一心に貫こうとするとき、人間は自然と前に手を合わせるのではないだらうか。亀井勝一郎の「大和古寺風物詩」にも「無心」についてそんな感慨が書いてあったと思ふ。
そして神に誓った人間は「妥協」を捨てることになる。
それが最後の村下(むらげ:製鉄を主導する長)阿部翁の生き方であり、皆に見せつけた古代の人間の誇りだったと思ふ。見せることは伝へること。たたら製鉄が、現代にたたら製鉄として復活したのは、多分奇跡に近いことだったのだらう。
炉の壁を作る粘土の堅さを足の裏で確かめ、ケラが炉から出てくるまで全ての行程を管理した村下の姿は、それこそ有能な技術者のものである。ものを「創る」という喜びと責任に人生の喜びを感じられたことだらう。
古代より、戦争の道具や稲を刈る道具は、この様な技術者集団から作られたものなのに、なぜ我々はその全貌を知らないのだろうか?
政治、闘争、記録を残す、など今日我々が親しむ歴史上の人達は、歴史の中でほんの一握りの人達だったのではなからうか。ものを書かない庶民、閉鎖的集団の研究はようやく始まったばかりである。歴史の上部と下部のこの乖離については今後の学究を待ちたい。
昭和まで村下が一子相伝であったことを考へると、古代では超秘密の技術であり、神事そのものとされた可能性は非常に強い。古能の「翁」など一連の神事を物語ると想像される芸能もある。
一説によると古代の製鉄場は注連縄で区切られ、桜が植えられた。神社の誕生であろうか。桜は「さ倉」(鉄の倉)から来ているという説がある。
神社の祭りも中世以前に起源が遡るようである。鉄(神社)と農(氏子、神人)の関係から始まったものではないだろうか?
御輿を担いで見ると分かるが、自分が閉鎖的な「村」の一員になったような錯覚を抱く。隣町の御輿と張り合うなど、精神的な遺産を古代から引きずっているような、しかし或る意味でそれは心地よい。

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