私は漫画「花の慶次」の原作、隆慶一郎氏の「一夢庵風流記」を読み、前田慶次郎の事跡を古書で調べ始めました。自分の「慶次」を探したかったのです。
調べた結果、隆氏はほぼ史書通りの慶次を創造されていました。「いたずら好き」「ひょうきん者」「豪放」などです。現在喧伝(けんでん)されている「かぶき者」という定説は、隆氏が「可観小説」という書物の記述から、強く打ち出した慶次像であります。
ただ、私が不満に思ったのは、「かぶき者」という言葉は、「可観小説」以前の史書には皆無なのです。「可観小説」はかなり後代になってからの書物で(成立年代をご存じの方はお知らせ下さい)、ちょっと胡散臭い。
私が読んだ史書は、「上杉三代軍記集成」、「常山紀談」、「米沢史談」などです。
私の慶次はこれらの書物より再構成したものです。ですが、依然、「かぶき者」と言う範疇にぴったりと当てはまり、「一夢庵」を読まれてから拙著を読む人に納得して頂けるようです。ネット書店の書評でそれを評価して頂き感涙でありました。
「一夢庵」にあまり描かれて無い要素としては、
1)年齢的な要素
2)「名利は雪よりも淡く、義は金鉄よりも堅し」という義侠
3)上泉主水(新陰流の祖、信綱の子と言われる)との関係
4)和歌、茶などの風流の達人であったこと
などがあります。
1)の年齢は最上と最後の戦いをしたときが五十半ばです。「一夢庵」ではひどく若い印象があります。
2)の件は主に周りの人間とのつながりが「一夢庵」では淡泊と感じてます。
3)の上泉は悲劇の武将です。私は彼を多く登場させています。
4)武将で風流を好んだ人は沢山いますが、慶次ほど「武」と「雅」が接近していた武士はあまりいなかったのではないでしょうか?
私の信ずる歴史観に沿って、これらを描いていこうと思います。
若い読者様に「慶次に興味が沸きました」と言って頂き、喜びを感じています。

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