古い話ですが、平成31年4月18日に興福寺中金堂の落慶記念のロバート・キャンベルさんの講話で忘れてはならないと感じた点を備忘録します。
一 奈良遺産の「山の辺の道」をゆくこと
一 奈良古道の竹内街道、奈良・大阪を結ぶ国道308号線をゆくこと
一 山全体が御神体の大神神社
一 紹介された本居宣長の「菅笠日記」の一節に深く感動したこと
一 清少納言の「枕草子」を読んでからゆくこと
一 堀辰雄の「大和路」を読むこと
本居宣長に関しては、「源氏物語」をそれまでの好色戒め論などから開放し、「もののあわれ」の理解を発展させたという、近代文学に繋がる功績は認めるが、一説に「男の見方」しか出来ず、講釈している時、女心の理解が出来ていないので女性に笑われたとの「噂」をどこかで読んで、それが先入観になってあまり評価していなかった。
その真偽はともかく、ありそうな話だと思った。朝、男が帰って行くときの女性の心理は女性しか分からないだろう。
だが、ロバートさんが「菅笠日記」の一節を紹介された時、私の評価はがらと変わった。原文は私が活字本を持っていないのでここでは紹介できないが、宣長が伊勢街道を歩いているときと思うが、視界にある寺の鐘が、宣長が歩くにつれ見え方が変わって来て、まるで自分が歩いているかのように頭に浮かんだのだ。女心とは全く違った情景描写の秀逸さを見出した。国文学者ではない宣長の一面を見たのだ。

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