昨夜来の雨が朝まで降り続け、気温もこの冬一番の寒さとなる。
午後から仕事、午前中の利用者は少なく、午後も寒いので少ないと考えていた。しかしそうでは無く14時前から次第に増えて来る、手が掛るで、結構忙しかった。
まだまだ年賀状作成は衰えていない。
自分ではまだ何も手をつけていないので、このような状況を見ると、そろそろあせらないとダメ?
今日は忠臣蔵の吉良邸討ち入りの日。
新聞を見ていたら浅野内匠頭切腹の際の辞世句「風さそう花よりもなお我はまた春の名残をいかにとやせん」は、本当にあったのか?
身柄を預かった旧一関藩の「田村家文書」にはこの件は一切記録が無いという。
以下朝日新聞より
浅野は刃傷事件があった当日の午後4時すぎ、一関藩邸内の座敷まで駕籠(かご)で連れてこられた。座敷の周囲を板で囲って釘(くぎ)打ちし、室内には便器を設置。一汁五菜の料理を出すと、浅野は湯漬けを2杯食べた。わずか1時間後の午後5時ごろ、幕府から切腹の命が下った。
午後6時すぎ、藩邸内の庭に畳を15畳と毛氈(もうせん)を2枚敷き、周囲をびょうぶと段幕で囲って座敷同様にしつらえた場所で、浅野は切腹。遺体は浅野家の家臣2人が引き取りに来たという。文書はその光景を「なかなか目もあてられぬ様子どもにござ候(そうろう)」としている。
田村家文書には、浅野が歌を詠んだ記録は存在せず、浅野と家臣が接触したのも切腹後と記されている。
このように時間が無く切腹したのでは、あとから誰かが作ったものであろう?

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