2008/10/7
日本でラーメンを初めて食べた人
それは水戸光圀だと。
中国の明から水戸へやってきた
儒学者の所持品にラーメンの材料があり
中国の汁麺を作ったとか、作らないとか
時代は明治時代へ
各地の中華街などで
南京そばが提供され始め、
大正へ入ると、醬油味、チャーシュー、シナチク、ねぎ
などのトッピングがされ、現在のラーメンの原型ができたようです。
そして、戦後になると
ラーメンは国民食として広く普及して、
ラーメン専用のドンブリが登場するのです!
先日帰省しているときの
どんぶり祭りでラーメンどんぶりの展示がありました。
その種類は多様で
唐子文

双喜文 double hapiness

龍文

鳳凰文

雷文

と、ラーメンどんぶりのデザインにも
一個一個名前と意味があるようです。
で、地元の町がどれくらい
気合の入ったどんぶりタウンか。というと

道の駅、どんぶり会館!
建物が、蓋のついた丼の形になっています。
初めて見たときは、
やっちまったな。
と思ったけど、ちょっとは地場産業の宣伝になるのでしょうか?
さらに、痛いのは、どんぶり会館右側に設置されている
公衆トイレ
なんと、1億円
中身は少しゴージャスで大理石だとかね。

僕の故郷の町は人口約数千人の
とっても小さな町ですが
地図にもあるようにたくさんの窯元があって
(モアブにかてるかな?)
どんぶりでは日本一で無いでしょうか?
(中国がいるから世界一にはなれないかも…)
その中でも、西山にある快山窯は
世界一美しい青いお皿を製陶しております。

こんな、小さな町の小さな工場ですが、
がんばっているようです。

影青(インチン)中国の青磁のようです。
青く澄んだ、気持ちいいぐらいの青。
でも飽きることの無い色と質感。
そんな気がします。

僕には、一生かかってもこんな作品ムリポですね。

ダチ町の風景
屋根が青いところはたいてい陶器工場

投稿者:freerider
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