俺には夢がある。両手じゃ抱えきれない・・ ザ・ブルーハーツ『夢』の歌詞
皆さんはどんな夢がありますか?
ちばっちの夢は何日前かのコメントにも書いたように「花を作る」事。
農家の方なら「なんだー そんなことか?」と思うかもしれません。
農家をいやいやする跡取息子とは違います。
ちばっちの生まれは「屋根屋の三男坊」非農家です。親父が一代で築き上げたので土地も広くなく畑もありませんでした。
両親が近くの畑を借り、家庭菜園のようなことをしていたのですが、それに凄く興味を持ち始めたのが中学校の頃。
ベランダに温室まがいの物を造り植物も育てでいたが、会津の冬は厳しく殆どのものが枯れてしまった記憶がある・・(笑)
農業の高校に進学し園芸課を選択した。その頃は勉強するよりの実習のほうが楽しかったなー
高校の卒業前に東京にある農林水産省の「農業者大学校」を紹介していただきました。ここは農業に従事している青年を対象にしており入学前に1年以上の実務体験が必要で3年間の教育期間は基本的総論や先進農家への派遣実習や海外研修があり、3年間の寮生活を通して「ちばっち」の人生で強く刺激されました。(そのころはちばっちでなかったんだけどね)
研修でも地元の会津と長野県坂城町のバラ栽培農家でお世話になり基礎的知識を教えていただきました。『農業者大学校』のお陰で日本全国の同期生や多くの先輩方と知り合うことが出来ました。
その後、農業関係の仕事に就くことができ、この仕事は正に天職で花きと果樹の担当をさせて頂きました。途中で異動はあったものの農業に係わる仕事が出来て本当によかったです。
13年前に、今の妻と知り合い婿養子として縁組をしました。(ここでようやくちばっちになったのですが・・)
水稲中心の兼業農家で稲が150a会津みしらず柿が20aその他畑が30a程度の農家で、まだ、親父は現役。田畑の仕事は休みの日にちょっと手伝うほど、田の草刈要員ぐらいでした。
しかし、8年程前に親父がくも膜下出血で倒れ、幸いにも命には別状なかったものの日常生活が精一杯。几帳面だったはずが庭木に水遣りをする程度しか出来なくなってしまったのです。
その後はちばっちが農作物の管理をすることになりましたが、仕事柄作業の内容も知っているし、農業へ対してはそれほどの苦労はありませんでした。
もし、自分が農業に携わることがなければ農地は手放していたかもしれません。
今は、経営も任され自分の好きなように管理しています。それがとても楽しいのです。いやいや遣っていた草刈も苦にならず、気づけば畑にいるって感じです。
管内の花き販売金額はそれ程多くもなく、担当として生産・販売まで携わり、多くの方と知り合うことが出来ました。
特に花職人Aizuの方々と知り合ったことで自分の考えが大きく変わりましたね。「小さな団体があそこまで出来るなら、うちの部会だって出来るはず・・ 」と思い頑張ってきました。
二年まえから管内でもリンドウの産地化を目指し面積拡大を図ってきましたが、グリーンアスパラガスの産地でもあり思うようには伸びません。地道に農家を回り栽培者及び面積も増えてきたのですが、この春に異動となり花き関係から離れる事になりました。
もともと花が好きだったので、我が家(ちばっち農園)でもリンドウの作付けを試験程度に苗を注文していたのですが、これを期に30aの田をリンドウ畑へ転換することに決意しました。
新しい職場でなれない仕事をしながら朝と休日での農作業はかなりきつい物がありましたし、実の母を亡くした事も大きな心の動きでした。
何がきついって、作業適期にその仕事が出来ない事。せっかくの苗が老化していく・・ 実った柿が収穫できない・・ 田のワラ集めが出来ない・・・・ 後手後手となり 「二兎追うものは一兎も得ず」 二足わらじは履けませんでした。
春からいろいろと考えていたのですが、一区切りとしてメインの米集荷終了を境に退職をすることにしました。
管内にはパイプハウスのリース事業があり、今が農業を始めるチャンスかもしれません。
これからはリンドウ栽培を中心とした『ちばっち農園』の園主として頑張っていきたいと思います。
長々と読んでいただきありがとうございました。

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