Tさん最後のゼミ生。Sさんのことを、私はTさんと最後にやった合宿で知った。2006年8月大谷からたった一人で、あんな変な企画にポンと入ってきた。物怖じしない、だけどしっかり物を見ている、素直だけど切れ味がある。ええ子やなぁ……とみんなで言い合ったのを思い出す。なにより、Tさんがとてもかわいがっていた。いろんなプログラムにコミットさせて鍛え上げてるという感じがした。Tさんの学生指導としてはあんまりないことだったので、彼女の資質に何か感じるところがあったのか、僕らでお神輿担いで立ち上げた学科の最後の学年(この次の年、この学科は改組されて消えてしまう)で、教師として思うところがあったのか。
その彼女が、Tさんのお葬式で、学生代表の弔辞を述べた。
多分、私は死ぬまでに、こんなスピーチを聴く機会をもたないだろう。
世界最高の弔辞だった。
Tさんがどんな人だったのか、どんな教師で、どんな地域のおっちゃんだったのか。Sさんの言葉に削りだされるように、見事にそこに描き出されていく。
奇人横町変態長屋、最強、最後の怪人。彼を語るSさんの言葉から、彼が何を大切にし、事実どのようなことをなしてきたのかが見えてくる。

何度も、「つながり」という言葉が語られ、「楽しいこと」「笑い」が語られ、皿回しが語られ、けん玉が語られる。
よれよれのジャケット、おなかがポッコリでて、これまたよれよれのチノパン。肩からお気に入りの革鞄を提げて、のしのし早足で歩く、「S、はよ来んかい」と声が聞こえてきそうです……。と語るSさんの声が震える。私の体も震える。
なぜか暑い日も寒い日も、授業の時も組合交渉の時も、もちろん合宿の時も、いつも腰から手ぬぐいをぶら下げておられたTさん。今頃、どこを歩いておられるのやら。
Sさんのすてきな弔辞を聞いて、Tさんが組合の新聞に連載していたコラムを読んで。僕らがなぜ言葉を駆使するのか、物語るのか、少しわかったような気がする。Sさんや、その他の人々が、この日確かに全身全霊の言葉を尽くして物語ることによって、私たちは、わたしたちにとっての、永遠のTさんを手にすることが出来るのだろう。また、Tさんの紡いだ言葉に触れることによって、私たちは繰り返し、Tさんをそこに感じることが出来るだろう。
畢竟、世界は物語しかないのだと。
TさんをSさんが絶唱のように物語ったように、私の物語は、私ではない誰かの手に委ねられる。私にとって、私の物語は永遠に完結を見ない未完成作品だから……。
今日も私は、Tさんが残した物語から細く分岐する、頼りない物語を歩いている。
その日まで……多分歩いている。