お仕事のようなお仕事でないイベントが終わった。
私たちの間では「合宿」と呼ばれています。「合同宿泊研修」の略称ですから、その名の通り、一緒に泊まって何やら研修するわけです。
去年の合宿の記事は
こちら。
……さて、その宿泊研修の場は、いつもの場所。元職場の合宿施設。元々女子専用施設に無理矢理男子も入れて合宿をするようになってもう5年ぐらいかな。今年からは、ここが男子もいる場所になったので、なんだか規則が厳しくなっていたり。ゆるゆるのここが好きなのに。
今年のメインテーマは、仮面です。
仮面の前に……まずは近くの公園に出かけて、ブラインドウォーク。福祉系のカリキュラムには今では必ず入っているやつ。でも、今回のは少し趣旨が違う。視覚障害者を体験するということに主眼はない。高度なコミュニケーションゲーム。

二人一組。男女ペア。しょんぼり。私は入れてもらえずに写真係。ペアはそれぞれ20分ずつ交代でひとりが目隠しをし、もうひとりがその人を案内して、いろいろな体験をさせてあげる。重要なのは、その間、いっさいの会話は禁止。つまり言語と視覚的間主観性を奪われた状態で、いかなるコミュニケーションが生まれるのか。公園には例えばこの写真のような不安定を作為的に作り出す遊具もある。ここをどのように体験させるのか。誘導役の男子は、ペアの女子のつま先を手で導いて、ぐらぐら動く角柱で出来た足場にのせる。その上で、それを動かしてみせ、それが「どのような不安定さなのか」を実感させる。触らせ、動かすことで、その危険と対応の仕方を伝えようとする。そんなコミュニケーションが、すべてのペアの動きのなかに生まれていく。

だから、これもただのカップルラブウォークではないのです。相手に身を委ねることを必然化していく、一種のトラストゲームであり、そうした信頼感が一定成立しないと、まったく身動きできないゲームである。元々私が担当するクライアントたちは、既に同じメンバーで1年半を過ごし、お互いをよく知っている。しかし、改めてこんなふうなワークショップ的状況にほうりこまれると、意外な発見や関係性が生まれてくるらしい(私が体験していないので推測)。

この二人はどちらも三年生。しかも女子は会場となった元職場のクライアント。つまりこっちの男子とは今日この日が初対面。初対面からわずか10分ぐらいでこのセッションでペアを組まされる面白さ。
さて、仮面だ。合宿までに1日余分に集まって、仮面の下地を地味に作った。それに彩色するのが1日目最後の業です。

出来上がった仮面をかぶって記念撮影。向かって左が私。荒い仕上がり。右はかわいく仕上がったすてきな仮面の女子。ちょっといやがられています。
この仮面は、二日目の午後から、いよいよ動き始めます。

ドイツっぽい仮面。長身の男子が何かを求めて客席に近づいてきます。

仮面がないと、とてもこんな動きは出来なかったという振り返りを後にした女子の傑作のたたずまい。部屋の隅にすーっと動いて、ちょこっともたれてこっちをじっと見る仕草が、たまらなくかわいい。そして仮面も魅力的。
ここまでは、ひとりの活動。言語禁止。一分間、自由に動くセッション。一分は長い……。そしてここから、二人の活動が始まる。

二人で絡み始めます。順々に相手をかえてセッションを重ねていく。言語は1音だけ許される。一人一人に「あ」、「い」、「う」……と一音だけ、発することが許される。ちなみに私に与えられたのは「け」。この二人はどっちも180cmを超える長身ペア。打ち合わせなしの全編即興劇。仮面によって視野が狭窄し、声もくぐもる状況。観客の反応すらよくわからない。自分がモニターできない。演じている相方との関係性も何ひとつ確かなものが無くなってしまう。つまり、有意味な一貫性を保持するための基本要素が制限されることで、予期しない意味生成が続々と生まれる。
閑話休題。ここまでが、この合宿の表(おもて)のテーマとその活動。じつはしかし、ここからが本当のテーマだったかも。実はこの合宿中、部屋では必ず誰かがこれをやっていた。
「皿回し」
きっかけは、仮面の彩色のために用意された部屋が、いろいろな遊び道具の倉庫でもあり、私のクライアントのひとり、男子が見つけてやり始めたのだ。皿回しキット。初級者用の縁の深いプラスティック皿と、上級者用の金属皿と、上級者用のプラ皿。この三種類を持って合宿所に入ったのだ。あっという間にその男子が皿回しをマスター。しかも次々に難易度の高い皿回しへの挑戦を続けていく。

両手回しはもちろん……。

ハンガーでやってみると、これまた見事に回り、割り箸で回し……その異様な盛り上がりは、参加者に感染。女子が次々とまわし、男子も当然まわし……ついに、合宿参加者10数名のうち、私をのぞくすべての参加者が、皿回しに成功と言う異様な事態になった。

出来ない私……必死で練習中の図です。結局私は、この二日目の深夜、なんと持ってきた三枚三種類の皿をすべてまわし、先行していたクライアントたちへの面目を一定保つことができた。

三日目最後のワークショップは……「世界一投げやりな楽器」こと、「バンジーチャイム」であります。真鍮製の管は、音階によって長さが管理され、それぞれが固有の長さを持ち、それが音の高低をきめる。これを二本から四本手に持って、地面に落とすことで演奏という大変プリミティブなセッション。それでもラストにやったベートーベンの「よろこびのうた」は、和音あり、ひとりが四本担当したり、ファシリテーターさえ未演奏のこんなんか課題。参加者全員によるバンジーチャイムは、そんなどきどきのなかでおこなわれ、なんだか見事に演奏し抜くことができた。
不惑の年を迎えて、これだけ非日常的セッションにてらいもなく参加できたのは、ほかでもなく参加者の雰囲気が良くて、しかし何よりしっかり議論できるクライアントたち。
さあて。
来年が楽しみだぜ。